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2011年12月24日 酉谷山避難小屋で
日本勤労者山岳連盟加盟・目白山岳会メンバーとの一夜


オヤマリンドウの花が咲く静かな晩秋の朝の酉谷山避難小屋


1 目白山岳会について
 会のブログを見ると、「目白山岳会」は「日本勤労者山岳連盟・東京都・豊島区連盟に所属する社会人の山岳会で、主にハイキング、百名山、縦走、沢、雪山、スキーなどの活動を約22名の会員で行い、年間山行数およそ300回」と活発な活動内容を誇る山岳会のようである。JR山手線高田馬場駅近くに登山用品を扱うカモシカスポーツがある。店舗に登る階段には、目白山岳会への加入を誘う緑豊かな風景が描かれているチラシが置かれていることから、その存在は認識していた。

2 普段の山行の様子
 目白山岳会のブログは、2011年8月に立ち上げられ、それ以降の山行の様子がアップされている。最近のものを見ると、2011年10月7日(金)〜9日(日)、総勢8人が車で苗場山へ向かい、土樽PAでテントを2つ張って小祝宴を開いた後仮眠している。また、直近では、2011年忘年ハイクを青梅の三室山で実施したのち都内に戻り、中華料理屋で午後2時半から宴会をし、カラオケに流れた後、夜半未明にお開きとしたと書いている。この会は、山の行き帰りに大いに酒で盛り上がっている様子が見て取れる。同山岳会は、2011年12月23日から24日、クリスマスハイクと称し酉谷山から熊倉山へ抜ける山行を計画した。


これだけだとただの「ヤミテン」の風景なのだが・・・。

3 前兆
 当日は、午後1時30分ごろ酉谷山避難小屋に単独で到着し、次いで同2時ごろに到着した単独の男性と歓談していた。しばらくして水を汲むために小屋から外に出ると、東日本大震災の影響で岩盤が崩落し、危険があるため現在通行が禁止されている小川谷林道方向から歩いてきたと思われるパーティの大きな話し声が遥か遠くから響いてきた。猟師が鹿を追うための話し声かとも思われたが、女性の甲高い声も複数交じっていたことから、登山パーティが登ってくると思われた。この日は祝日の金曜日で、それに3連休の初日であり、「大勢のグループがこの小屋に泊まると、後からくる人が困ることになりますね。」「この小屋は1人2人の少ない人数で、それも人の少ない平日にそっと使わせてもらうのがいいんですよね。」などと話あっていた。

4 悲劇の始まり
  しばらくすると、8人のパーティが姿を見せ、「こんにちは〜。泊まらせてもらいますよ。」と威勢よく小屋の戸を開けて入ってきた。こちらの2人はあっけにとらながらも、「狭く全員が板の間には寝れませんので、土間も利用することにはなりますが、仕方ないですね。」と応じた。この間、メンバーが入れ代わり立ち代わり小屋に出入りするが、戸を開け放したままの者もいたので、こちらがそのたび黙って戸を締めていた。そのうち、板の間の真ん中に調理具などを置いて、夕食及び宴会の準備を始め自分たちだけの世界を形成して行った。

5 テント設営
 当初、全員が小屋に泊まると言っていたが、ほどなくして大きなエスパースのテントを2つ小屋の玄関前に設営した。通路も塞いだので、水場への通行は肩崩れした脇を通るほかなかった。そこで、「テントは、稜線でそれとなく張られているようですよ。」と水を向けるも、その意味するところをこの人たちは理解できないようだった。


杭が曲がっているのは今も斜面が動いているから

5 一次会
 目白山岳会の小屋内での一次会が始まった。皆和気あいあいと楽しそうに宴会を繰り広げている。ただ、その両脇に単独の者がいるとの思いは見えない。このパーティがどこの所属なのかを知りたかったし、今晩どうするのかも知りたかったので話しかけたみた。すると、「労山に加盟している会です。目白と言います。」と答えるので、「カラファテにも近く、高級住宅地にお住いのご様子、労山ということは現役でしょうからリッチでいいですね。」と応じる。今夜は全員がテントで寝ることとしたというので、各自が持参したシュラフを聞くと、夏山用を持ってきた人が多かった。昨晩の雲取山の気温がマイナス13度であったことから、夏山用のシュラフに包まって外で寝るのは難しく夜中にうるさくされても困るので、「女性3人は中で寝てはどうですか。必ず小屋に入りたくなりますよ。」と申し向けたが、「テントに入れば暖かいですよ。」とのことで全員がテントに寝るとのことだった。このパーティの夕食のメインはホウトウ鍋で、大きな鍋に二つ作ったことから食べ残しが出たが、「明日の朝食としましょう。」と言ってすべての食器・食材・食べ残しを板の間に置いたまま散会となった。

6 2次会
  夕食兼飲み会は午後7時近くに終わったものの、「さあ、マッコリで2次会だ。」と全員が小屋を出てテントに入って行った。「嵐が去りましたね。」としばし山の話をし、「もう寝ましょうか。」とシュラフを深く被った。外からは延々と声高な話し声や高い笑い声が響いてきてなかなか寝付けないので、イヤホーンでラジオを聴きながら横になる。午後8時になった。宴会は最高潮にある。まあ、9時ぐらいまではしかたないかと我慢する。


小屋前の通路にテントを張ると支柱も流されている崩壊斜面を歩くことになる

7 闖入
  8時過ぎに女性がヘッドランプを点けシュラフを抱えて小屋に入ってきて板の間に寝る。9時ちょっと前になってもう一人、女性が小屋の戸をガラガラと音を立てて入ってきて板の間に寝ようとする。そのとき怒りが爆発した。「いつまで騒いでるんだ。戻って止めさせろ。小屋では寝るな!」と大声を上げるも、その女性は黙ったままで行動に移さない。

8 嵐の襲来
  エスパースのテントは二つ張られていて、一つのテントで酒盛りが行われている。テントを大きく揺さぶる。「お〜ぉ、風か。」と聞こえる。さらにもう一回大きく揺さぶる。「S藤か、こんなことする奴は。」と中の者はまだ余裕がある。入口にいた女性がテントの入り口を開けたので、「いつまで騒いでんだぁ〜っ。」「いい加減にしないかぁ〜っ。」「誰だあ〜っ、会長っていう奴はぁ。」と紳士的に大声を上げると、女性が年配の男性の方を振り向く。「あんたがリーダーかぁ〜っ。」「リーダーシップが取れないのかぁ〜っ。」「今何時だあぁ〜っ」と静かな口調で注意をするが、誰も謝りもしないし、抗うわけでもない。小屋に戻る。


今日も綺麗な小屋を後にする

9 夜明け
 酉谷山避難小屋は昨夜の喧騒がなかったように静かに開けたわけではない。何事もなかったような顔をして、5時過ぎると小屋に次々と人が入ってくる。誰も謝るでもない、言い訳をするでもない。得体の知れない人種だ。そしてガチャガチャと朝食の支度が始まり、鍋に余った野菜や豆腐などがたっぷり入ったホウトウの始末をしようとするが、それをトイレに流せとの指示がなされ、メンバーの男性がトイレに向かう。「ちょっと待ってくださいよ。それをトイレに流すっていうことはないんじゃないんですか。」「食べられないんだったら持って帰るのがいいんじゃないですか。」と穏やかに提案してみる。実はこのトイレが「ぼっとん汲み取り式」なのに臭くないわけは、ときおり有志がバイオ消臭剤を持ちよりトイレに投げ入れていることもあるのだが、そこに生ごみの投げ捨てっていうことはないだろう。

10 逆さ箒
 もう陽が高くなっている。パーティはほぼ出発の準備ができているが、ガスを燃やして手あぶりするなどしてなかなか腰を上げない。小屋に置かれている座敷箒に手を掛ける。それを見てひとりの男性が「掃除しますから。」と土間用の箒を持つ。「土間は土が多くホコリが立つので、あとで竹箒で掃く必要があるからいいですよ。」「皆さんがお出かけになったら私が掃除をしますから、どうぞ出発して下さい。」と言う。「皆さんは小屋ノートを読まれなかったでしょうが、ノートを見れば、『きれいに保たれている小屋だ』とか、『トイレが臭わなく快適だ』とか、『ありがとう』というような言葉で溢れていますよ。それは一人一人がこの小屋が好きだからなんですよ。」と餞の言葉を送って稜線に出て行く一行を見送る。


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