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前穂高岳〜奥穂高岳〜ジャンダルム〜西穂高岳
テント泊縦走(2日目)

2016/ 8/ 7〜9

2015年8月28日付け「岳沢小屋スタッフブログ」は、「岐阜県警からのお知らせ〜ジャンダルムに関して」と題し、ジャンダルムへのルートを画像で載せているが、どなたかが指摘したとのことでその後次の画像のように訂正している。しかし、このブログの画像に載せられた訂正後のルートを描いた画像の説明は本当にすべて正しいのだろうか。


(出典:岳沢小屋スタッフブログ)

 赤線は岐阜県警がお知らせで描いたという登路であり、緑の線は岳沢スタッフによるものであるらしい。
 @ 奥穂高岳からジャンダルムに登る(西穂高岳側から)とき、飛騨尾根に入り込んでしまうおそれがあるからという理由で、果たして緑色の直登ラインを選択するだろうか。確かに鎖はある。
 A よしんば視界がなくとも、ジャンダルムの基部に立った登山者が、ジャンダルムのピークがどこに位置するかを把握・確認することなく登ろうとするならともかく、赤線のような登り方をする方が、現場に臨んだとき自然なルート取りという感じがする。
 B 「オクホ」への道とする青線は間違ってはいないか。青線のとおりだとすると西穂高岳〜ジャンダルム〜奥穂高岳間を通過するのに、ジャンダルム基部において鎖を使うだろうか。
 実際に経験しないと山のプロの画像を無条件で信じてしまう人がいないでもない。私はあくまでも赤の線でのルートを採る。
 


 8月 8日 (2日目)  
2日目の行程:穂高岳山荘〜奥穂高岳〜ジャンダルム〜西穂高岳〜西穂山荘(テント)


早朝の奥穂高岳のテント場で

 午前3時に目が覚める。テントの換気口から空を見ると満天の星が輝いている。ただし、風が強い。テントを震わせている。午前3時半に起きて簡素な朝食を摂り、撤収に取り掛かる。半数を超えるテントはもうない。今日は急ぎの旅ではないが、小屋に宿泊した人が朝食を済ませないうちに出発しないと、奥穂高岳への登りで大渋滞するのは目に見えている。


奥穂高岳と穂高岳山荘

 テントを片付けたら、そそくさと奥穂高岳を目指そうとする。奥穂高岳への取り付きに警察官が待っている。
 「どこへ行きますか。」
 「ジャンダルムから西穂高岳に向かいます。」
 「浮石に気を付けてください。今日は風が強いので煽られないようにしてください。」
 「ありがとうございます。」


涸沢岳〜北穂高岳〜槍ヶ岳

 奥穂高岳に着くと、すぐさま厳しめのストレッチをする。この歳になると、筋肉の柔軟性を意識的に保つことが必要となってくる。今回ジャンダルムに登るに際し、数日前に整形外科に行って診察を受けるのに3時間待った。診察の時間は3分もなかった。目的はロキソンニンテープを処方してもらうことにあった。そうなんだ、歳をとって若者を凌駕できなくともそれに近い動きができるようにするには何かしらの対策が必要である。奥穂高岳を出るときは、3人の若者と一緒だった。途中彼らからは大きく引き離されたが、西穂山荘に着いたのは彼らより30分ほどの遅れだった。彼らは前夜は穂高岳山荘に宿泊し、食事を得て軽装であった。それでもたった30分遅れで走破できたのだった。


涸沢岳〜北穂高岳〜槍ヶ岳

 奥穂高岳からは何度か歩いた槍ヶ岳までの岩稜稜線が展望できる。このルートだって軽い気持ちで歩くことはできない。待ってておくれ。次は前穂から槍ヶ岳まで歩くから。そう、何度挑戦しても槍ヶ岳のテント場に泊まれたためしはないことから、再チャレンジすることとしているのだった。天空のテン場、日本のマチュピチュ・・・、憧れのテント場である。


奥穂高岳からのジャンダルム

 画像は馬ノ背〜ロバノ耳〜ジャンダルム。足を踏み外したら、浮石をつかんだらどういう結果が待ち受けているか自明である。何回も歩いた日高山脈のエサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山の藪ルートはいつも心が折れそうになる。しかし、ジャンダルム界隈は前後に必ず人がいるのでそのような思いに駆られることはない。小屋に着けばキンキンに冷えたビールにありつくことができる。要は事故を起こさないようにするだけのことだ。


奥穂高岳で憩う

 奥穂高岳で若者3人に道を譲る。年寄りは若者を優先しなければならない。経験も大事だが、すでに体力はなくなっている。そういったことを自覚し、今を生きている者を優先する必要がある。ところがこの3人は、最初はビビっていたにもかかわらず、慣れてくるとところ構わず立ち止まって写真を撮りまくる。
 「君たちさぁ、危険地帯で何度も何度も止まって写真を撮っていたら、私の緊張感は続かないよ。何のために先に行かせたんだということを考えてよ。そんなことだったら先に行かせてよ。」
 ※ただし、途中で抜かれ西穂山荘に着いたときは、彼らは生ビールを飲んでいた。


いよいよ馬ノ背へ

 前回のジャンダルムでは馬ノ背は非常に怖かったが、今回は特別な感慨はなかった。ただ、下っているときに後続者が何度も落石を起こしたので、
 「お〜い、下りるまでは動くなよ。」
と大声を出した。


馬ノ背からジャンダルム

ジャンダルムって難しいのかい?
自分が単独で事故を起こすのは致し方ない。
しかし、他人を巻き込むことだけはやりたくない。他人にも巻き込まれたくない。

ジャンダルムって難しいのかいという質問に対する答えは、事故なく通り抜けられれば「易しい」と言うことができ、
何か事があれば「難しい」と言わざるを得ないということになるだろう。


峻険な尾根がまだまだ続く

 たった2度登っただけであれこれ言うことは憚られる。何を差し置いても3点支持の徹底、ソールスタンスの短い登山靴、手袋はMAMMUTのTrovat Glove程度のものは使いたい。この先でサンダル(と言ってもスポーツサンダル)を履いて駆けるように登ってくる中年男性に会った。
 「すごいですね、サンダルでジャンアルムですか!」
 「今回は、山仲間を連れてくるときの下見で軽装だからこれでいいけれど、荷物を背負ったら無理ですね。」
とのことだった。ただ、この人のグローブはしっかりしたもので、サンダルも山の用品で売られているスポーツサンダルだった。


ロバの耳とジャンダルム

 ジャンダルムのだいぶ手前で、1日目の岳沢を喘ぎながら登っていた男性に追い付いた。あろうことか、
 「あなたがジャンダルムに登ると言っていたから、ルート変更して来たんだがきついね。」
と言う。
 上高地午後4時発のバスを予約してあるからそれまでに上高地に下りなければならないとのこと。人間とはすごいものだ。そのような目標があればそれを達成してしまう。西穂山荘で会ったが、まだ時刻は12:30を過ぎたばかり。余裕で上高地に着くことができる。


ここでは直角(左上)に進路を変える

 前回は、金沢ハイキングクラブ(KHC)の方の後ろを追わせていただいたので、考えること(迷うこと)はほとんどなかった。ただただメンバー4人を見失なわければいいだけだった。ロバノ耳はだいじょうぶかなと危惧したが、心配は杞憂に終わった。ある程度は経験値として残っているようだった。


そうするとこんなところに(正解)〜岩に抱き着いている人は今日中に上高地に下りるらしい

 青年とすれ違う。挨拶をすると
 「日本っていいですね。」
という。意訳すると「こんなに素晴らしいフィールドを楽しんで歩くことができる日本という国はいいですね。」ということなんだろう。同感である。


陽の当たらない岩場に一人取り付いている

 ジャンダルムの基部に達する。奥穂高岳側からの直登を試みているパーティがいるが、装備等からは単なる知識不足と見た。ほどなくして下りてきて彼らは飛騨側に回り込む。冒頭に書いたとおり、どのようにジャンダルムのピークに行くかと言うことだが、自分なりに行きやすい場所を探しながら行けばいいのではないか。そのようなところにはペンキマークがあろうというものだ。


ジャンダルムのピークで緊張する人

 ジャンダルムのピークに立った人は、(老少年を除き)皆いい顔をしている。槍ヶ岳を背に写真を撮って上げたり 撮ってもらったり。ジャンダルムはさっさと切り上げるつもりが、30分近くもいてしまった。眺望はいいし、次にいつ来られるか分からないからまあいいか。



ジャンダルムのピークで余裕の人たち

 明るい青年たちと時を同じくしてジャンダルムのピークに別れを告げる。下りも特にどうと言ったことはない。コブノ頭に登ってまた降り立つところで尾根をそのまま少し進んでしまった。踏み跡が薄い。岳沢で会った人が先行している。 「そのまま行くのは間違いですよ。」と声を掛け、幕営スペース状の場所から斜面に付けられた道に復する。


コブノ頭〜天狗ノ頭〜間ノ岳は次の危険地帯

 コブノ頭から先には、天狗岳、そして真に恐れを抱いている間ノ岳の通過がある。引き続き心して行かねばならない。心と体に何の変化もない。ただただ熱いだけだ。そして淡々と先に進むだけ。


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