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エサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山縦走
(2010/ 7/30〜8/ 4)

[札内JP〜ナメワッカ分岐〜春別岳〜1903m分岐〜1732mのテン場]



貴婦人たち

 8月 2日 (4日目) 

 ようやく爽やかな天気の朝を迎える。午前4時、十勝の空に朝陽が浮かぶ。風は強いが、それによってテントは乾き、ハイマツに着いた水分も振り落とされていて、合羽を着込んで歩く煩わしさから開放されそうだ。あれほど強い風に翻弄されたにもかかわらず、ペグは寸分の揺るぎもなくテントを守ってくれていた。テントのスリーブの布地は長時間の風で擦り切れそうになっている。午前5時50分、テントを撤収し札内JPに登り返し、行程管理人に行動予定を知らせるメールを打つ。


待望の黎明

 札内JPを離れ南下する。日高側のハイマツ帯は、付着した水が強風で吹き飛ばされ、その意味で歩きやすい。日高側のハイマツ地帯から、十勝側のお花畑に道を変えると草露がズボンや登山靴を濡らす。しかし、今回初めて北海道の山で使用するザンバランの登山靴は、これまで朝露でも浸水することで悩まされていたS社製の登山靴とは違い、その心配は少ない。反省・改善点として、スパッツはゴアテックスのものではなくても構わないが、オール防水型の方を持参・着用すべきであった。(アイゼン使用を前提としているものは、布だけの部分があって、朝露の洗礼をズボンが受け、結果、その水分が靴下を伝って靴の中に侵入してしまう。)


テント張った場所からエサオマントッタベツ岳と後方に幌尻岳を見る


振り返ってテントと札内JPを見る

 もうこれで3回目のハイマツ稜線だからとはいうものの、ところどころで古の踏み跡を見失ってしまう。ハイマツや植物に付けられた足跡は、7月15日にこの稜線を先行した東京都の男性のものだろう。それ以外の痕跡は見られない。この踏み跡が概ねの道を示している。十勝側の斜面踏み跡をトラバースする際は、高山植物の踏み付けが避けられず心苦しい。それほど人がここを歩かなくなったということだろう。そのことを如実に示すものとして、熊笹斜面がある。熊笹の踏み跡は消え失せ、わずかに薄くなった隙間に足を入れながら、両手は上部の熊笹をつかんで体を引き、落ちないように進んで行く。


進むべきハイマツ根競べロード(右上のピークがナメワッカ分岐、中央が春別岳)

 今日は吹く風が冷たい。日高側を歩くときは寒く耳が冷たくなる。十勝側に出ると日差しを一杯に浴びる。しかし今日は汗を思い切り掻くほどでもない。1760mのピークに着く。従来のピークのテント場の手前に新しいテントを張るスペースが切り開かれている。がっちんこしたのだろうか。ここから次のテント場があるナメワッカ分岐までも酷いハイマツ地獄が待っている。


■ ■ ■ 何のための開削? ■ ■ ■


1760mピークのテン場(これまであったもの) 【ザックがあるところが稜線の踏み跡】

 エサオマントッタベツ岳は比較的登られることが多い山である。北東カールから札内JPの札内岳寄りの稜線に上がり、節度あるハイマツの枝の整理が行われた稜線を行く。ところが札内JPから南下し、カムイエクウチカウシ山への稜線を歩くととたんに古の踏み跡は消え、ハイマツの藪を漕いだり笹藪斜面を足を滑らせながら歩くのも、日高の山歩きの野趣の一つではある。

 自然環境保護派に属するのかどうかは知らぬところだが、日高の稜線でハイマツを踏み付けるのはどうの、踏み跡のない斜面で高山植物を蹂躙するのはどうの、ハイマツの枝の整理はどうのと他人には、器物損壊だとか国立公園法違反だとか夜郎自大なことを言いながら、沢登りと称して歩き、その結果源頭の高山植物のお花畑を縦横無尽に蹂躙していることに良心の呵責を感じないどころか、沢で流木を盛大に燃やし「木竹を損傷」している者が見受けられる・・・というのは日高の山の愛好者の中に少なからずいるところである。


1760mピークのテン場のすぐ北側に開削された場所

 それは、最後に残されたあるがままの日高の山を好む者として、ものは程度だろうということなのだが、そうは言っても、この1760mのピークにおけるテント場の開削はいかがなものだろうか。一つにここに開削する合理的理由があるかということと、次に岩稜の上に乗っかった薄い土壌に長大な年月をかけて根を張ったハイマツやミヤマハンノキその他高山の植物を根こそぎ剥ぎ取ってしまったことに対しては、まことに痛々しくて残念至極である。

 この開削は、打ち捨てられたハイマツの枝の様子を見ると、2010年の今年に行われたものと見られる。土壌が剥き出しの地面は昨晩の雨でぬかるんでいて、早晩、大量の土壌の流失が懸念される。このピークにあるテン場は、札内JPからの距離からしても、また風通しのいいピークにあることからも、使用される頻度は高くない。そもそもこの場所の開削にはシャベルなどの準備があってのことだろうから、思い及ばぬ意図があってのことだろう。



ナメワッカ分岐を進んで この先に可憐な花が・・・

 今回の縦走の目的の一つは、日本でも日高の稜線にしか咲くことがないというピンクの可憐な花、カムイビランジとの対面である。ナメワッカ分岐をやり過ごし、その一途で先を進むと、はっと息を飲むほどの驚きをもってその花との対面を果たす。2009年も、2008年も花の時期には合わず、心残りであった。今年の縦走は、時期を微妙にずらした結果、ちょうど花の時期ではあったものの、前日の強風と雨でほとんどの花弁が痛めつけられていた。


1917mへ取り付く

 カムイビランジとの再会を果たした。そのことですっかり満足してしまい、心は今日のテントをどこで張ろうかということに動いている。軟弱に春別岳か、それともやはり憧れの1732mか。体力・気力との関係で悩ましい。春別岳の頂上にテントを張るとすると、昼過ぎ、午後2時ごろまでに着いてしまうだろう。1732mにするなら、夕方の明るいうちになるだろう。同じルートを採った「一人歩きの北海道山紀行」のSakagさんはどうだったか、思い出す。飛びぬけた健脚とはいえ、Sakagさんはその日、札内JPから1903峰分岐、分岐から1903峰を往復している。


 1917mの下りからカムイエクウチカウシ山

 今の自分はどうなんだろう。日高を歩きますと言って、札内JPから歩いて春別岳でテントを張るのではだらしなさ過ぎると叱咤し先を急ぐ。それでもナメワッカ分岐から春別岳までの道も厳しくて長い。そして1732mテント場までの道はさらにさらに長い。万一日暮れ後に歩くことを考え、1917mの先でザックからヘッドランプを取り出そうとすると、ネットでくくりつけていた沢靴の片方がなくなっている。今回の縦走の最大の失態であった。


ここにテントを張るためがんばった 1732m

 午後6時、ようやく1732mのテント場に着いた。そこに至る道はまるでお花畑という中を通り、テント場斜面は上も下も色とりどりの高山植物で彩られている。出会う人もなく、もちろん喧騒もない。おまけに、背景はカムイエクウチカウシ山というのだから、これほど贅沢な空間がほかにあるだろうか。高みに出て飽くことなくカムイエクウチカウシ山を眺める。夜の帳が下りると日高の街の灯りが見える。シュラフに潜ったら、あっという間に夢の世界に入っていたようだ。12時間歩いたご褒美として、最高の夜を過ごした。

(4日目の行程) エサオマン寄りのテン場05:50〜札内JP06:13〜08:25 1760m08:35〜09:09鞍部テン場〜11:090ナメワッカ分岐〜13:20春別岳〜14:30花咲く岩場〜15:10次の鞍部〜16:13 1917m〜16:50花咲く岩場〜17:53テン場(1732m)


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