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エサオマントッタベツ岳~カムイエクウチカウシ山/テント泊縦走
2014/ 7/25~29
(5日目 八ノ沢カールから七ノ沢下山)


 2014/ 7/29(火) 


カムイエクウチカウシ山八ノ沢カールに朝が訪れる・

 今日は、今夜の宿泊先のユースホステルの迎えの時間に間に合えばいいとので、のんびり下山すればいいと勝手に判断し、時間配分を間違っていたことは後に気付く。午前4時過ぎ、テントの外に出てみると十勝平野に朝陽が登っている。テントは夜露でしっとり濡れているが、陽が上がるとともに乾いていく。迎えの車は札内川ヒュッテに午後4時に到着するので、ゆっくりすればいい。午前6時に八ノ沢カールを出発すれば2時間前にはヒュッテに着いてしまって時間が余るから、ぴょうたんの滝にある日高山脈山岳センターへ歩いて行って、「キッチンカフェぴよろ」で冷え冷えのビールでも飲むかと。


早朝の八ノ沢カール(マウスオンでテント場脇の水の流れ)

 1.5リットルほど残った帯広八千代ユースホステルで汲み4日間運んできた貴重な水は、カールの雪渓から流れ出てくる清冽な水に汲みかえる。予定より15分遅れてカールを出発する。カールバンドから流れ出ている水の流れを渡り、大きな岩を通り過ぎたところの草の下にトレッキングポールが落ちている(誰かにリユースしてもらえるように縦かかけておく)。カールからの水の流れは2本であったが、八ノ沢の源頭からは何か所も水が噴出している。 


厳しい斜面を下りながらヨツバシオガマ

 源頭から集められた水の流れはすぐ激流の様相を呈している。流れを渡り返す位置の記憶がおぼろである。渡って逆「く」の字に遡り斜面の高みに少し行く沢に続くザレた斜面が見えるが、そこを下りずにちょっと引いてみると岩陰に逆「く」の字に戻るような踏み跡があったりと、これ以降もパズルを解くような場所に何度か出合う。


八ノ沢カールからの流れ その左岸を下りようとする2人の勇姿

 この画像は、5日間の縦走中初めて出合った、これからカムイエクウチカウシ山に登らんとする「山へ残した足跡」の管理人のDEPPOさんが撮影の貴重な画像である。(DEPPOさんの御厚意により利用させていただきました。)


5日間で初めて出会った人たち

 極めて足場の悪い岩場を下りていくと、下から数人の登山者が登ってくる。この5日間で初めて出合った人たちである。この岩場を下りるのを待ってもらい、立ち話をする。「昨日登ったの?」と聞かれたので、エサオマンからの縦走であることを話すと、たいそう驚かれた。沢の様子を尋ねると「昨日は腰まであったが、もう減水しているでしょう。」とのことだった。しかし、過去の経験でもこのような降雨の後の八ノ沢では必ず腰付近までの水量のところを渡る必要が1回はあり、あらためて気を引き締める。


滑ると10m落下のスラブ(自前のお助けロープは回収)


ここまで来れば本流に出合うまでの難関はほぼ終了

 多少のピンクテープはあるので、踏み跡がどこで消えるか、ではどこの藪に入り込めばその踏み跡の続きがあるか探しながら、過去に迷い込んでトレッキングポールを落とした、沢に出てしまうU字の地形を越え、滑りやすい急斜面を下って行くと、ザレたさらに急な斜面を下りて行く。すると左手から水の流れがあって、登ってくるときはその流れに誘導されるような踏み跡が水の流れの左岸に向かって付けられている。ここはよく道間違いを招くポイントである。


三股(ここを登下する際のルートファインディングは慎重に)

 あれこれ難関を乗り越え、道間違いを犯すこともなく順調に三股に出た。ここまでくればあとは札内川を如何に渡渉するかだけであり、いったんザックを下ろして休憩する。単独の人2,3人と出会いながらさらに歩みを続けると、大きな雪渓に出る。左岸からの流れも伴っているので、どのように雪渓を通過しながら最後は少し距離を残して左岸斜面に取り付く。通過後振り返って見ると、雪渓の終わりは割れかねない厚みであった。出会った単独の人のうち、ワンちゃんを連れて登ってくる人がいた。(この日カムエクに登った「山の記憶さん」のブログに可愛かったワンちゃんの画像あり。)ワンちゃんは右後脚大腿部が切れ傷を負っている。この人も出血しズボンが血で汚れている。この沢をワンちゃんが登り切るのは積み重なった流木なども多く酷なことだ。


デブリの名残が延々と続く

 雪渓から先は、かつて見たことのない流木に覆われた八ノ沢であった。これほどの荒れようからすると、春先の融雪時の洪水とでも形容すべき状況であったことが想像できる。両岸ともエスケープできる余地はないので、丁寧に丁寧に木々をまたぎ巨石を通過し、岩石が流され様相は歩くなったが、歩くのに支障のない沢を下る。沢にはケルンが延々を積まれていて、速度を落とさずに済み助かった。


八ノ沢出合のテント場

 八ノ沢カールを出発して5時間、ようやく八ノ沢出合のテント場に着く。ここだけは心和む平和な風景である。今日出会った人の数は7~8人なのにテントは7張もあった。このテントの数と、すれ違う人の数との整合性がとれないのはいつものことである。


ここはまだまだ浅い札内川(マウスオンで今回の縦走の入渓地点の2010年のときの様子)

 八ノ沢の流れが札内川に合流すると、これまでののんびりとした気分が緊張感へと変わる。当初は水流はあっても水かさがそれほどでもなく、ジャボジャボと渡渉を繰り返し、河畔林の中の道を探しながら歩く。上の画像よりさらに川幅の広いところを、対岸のピンクテープを信用して渡渉し振り返ると、過去の記憶と風景が違う。そして対岸に着くとその先に逃げ込む河畔林がない。戻って河畔林の中に入ると、ピンクテープに導かれた踏み跡を見付ける。

 そして、最後の特筆すべき渡渉のか所(上の画像のさらに下流)を渡ることになるが、流れが急で深そうだ。お助け棒を作ろうかどうか逡巡するが、そのようなものがなくてもわたり切ることができると判断し、流れに入る。水深は身長172cmの者の腰回りほどある。一歩一歩足を置いて川床を探るが、水の流れで足がブルブルと振れる。ここで足をすくわれたらどうするか?ただ流れに身を任せるだけである。抵抗してはいけない。そのことはペテガリ岳~コイカクシュサツナイ岳縦走の際、コイカクシュサツナイ川で濁流にもまれた時の経験が生きる。水を飲まないようにして流れに身を任せるとトロ場に流されたり対岸に運ばれたりして難を逃れることができる(場合もある)。そのようなときの対処法を、迎えに来てくれた帯広八千代ユースホステルのオーナ―に聞くと、まったくその通りだという。「もがくから沈むのであって、流されるままにぷかぷか流されていけばいい。吉野川の激流で数百メートル流されたとき、そのようにしたところ対岸に着いて命拾いした。」とのことだった。今回のような水量では早晩、それほどの距離を流されずにどこかで停止するだろう。


ヤマアジサイとヤナギラン(マウスオン)

 下山後の待ち合わせの時間は、午後4時である。七ノ沢出合から札内川ヒュッテまでは4時間かかる(と思っていた。実際には「4時間」はぴょうたんの滝までの所要時間である)。このままのペースでは、ぴょうたんの滝のレストランで中札内のホエ-豚料理を肴に生ビールを飲めないばかりか、札内川ヒュッテまでも届かないと、ペースをどんどん上げた。


林道歩きは辛いがついにゴールが(マウスオン)

 どうにかもうこれ以上の渡渉は必要なくなるという地点に出て、七ノ沢出合に着くと午後1時であった。もう迎えの車の時間には間に合わないものの4時間の林道歩きに耐えるためにお腹を見たし、身支度を整える。少なくなった水は七ノ沢からの流れを、エキノコックスがどうであれ汲んでザックに入れる。ふと河畔林のはずれを見やると、2人が沢へ入る準備をしている。近寄って札内川ヒュッテからの所要時間を聞くと2時間かかったという。これで、生ビールは飲めなくとも、宿には行けて、洗濯ができて、5日間の汚れを落とせて、濡れた道具を干せて、なにより冷えたビールと十勝ワインと温かい食事を摂ることができる。なんという運の良さ!


登山基地帯広八千代ユースホステルから見た農場の風景/日高の山脈とユースホステル概観(マウスオン)

 肩に食い込むザックを背負って林道を歩くのは、こ山行中の最大の苦行であった。肩が痛い、足が痛い。力が出ない。ようやく着いた札内川ヒュッテに到着すると午後3時で、迎えの車まで1時間の余裕があった。札内川ヒュッテでは、これまでdocomoの電波を拾うことができなかったが、札内ダムでは通じるとの話を思い出し、道路に出てダムの水面が見えるところで試してみると、ほんの20メートルにも満たない距離なのにアンテナが3本立った。

 時間通り、オーナーさんが車でやってくる。思わず握手。宿は満杯で時間に間に合わなかったら、宿泊難民、食料難民になるところだった。ビールで缶酎ハイでワインでと飲みながら、食べ、同宿のwing1500でツーリング中の(人生の)先輩などと語らううちに、夜が更けた。


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