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エサオマントッタベツ岳~カムイエクウチカウシ山/テント泊縦走
2014/ 7/25~29
(1日目)


 2014/ 7/25(金) 


札内JPから エサオマントッタベツ岳

 エサオマントッタベツ岳は、一般の登山者にはめったに人に登られる山ではない。そんな山を起点にカムイエクウチカウシ山を経由しコイカクシュサツナイ岳まで縦走しようなんていう奇特な人は、1年間にどのぐらいいるのだろう。しかし、そんな山に興味を持った山屋さんたちと1年間の訓練と準備を重ね、4泊5日でここを切り抜けることができると判断したメンバーとともにその計画を実行に移すときが来た。

 これまで何度か日高の山に入った。旅の放浪人?でアウトドアの達人が経営の、いつもお世話になっている「帯広八千代ユースホステル」に前泊と後泊をお願いした。このユースホステルでは、宿泊者に登山口への送迎サービスを行ってくれている。「中札内ハイヤー」が廃業してしまったし、ガスカートリッジを販売していた同村の森田商店も店を畳んでしまい不便になった。なお、ガスカートリッジは「とかち帯広空港」の近くにあるニッポンレンタカーで販売されている。
 ※)帯広八千代ユースホステルは、現在は登山口への送迎サービスを行っていません。(2016/ 8/23) 


エサオオマントッタベツ川 入渓地点

 7月24日、午後一番の便でとかち帯広空港に到着した。しかし、ユースホステルからの迎えは午後4時と約束してあるので、空港でタクシーに乗り、まず、ニッポンレンタカーでガスカートリッジを買い求め、その足で「道の駅なかさつない」に向かう(料金:4,160円)。道の駅の前にある「中札内パルティーいちまる」でマッチを買い、残った時間で「六花の森」まで歩いて行って「坂本直行記念館」を訪ねようと思っていたが、気温が32℃もあって暑く、道の駅で迎えの時間までを過ごすこととした。 


ヤマベがウヨウヨ泳いでいる

 翌25日午前5時、朝食代わりのお弁当をいただいてユースホステルを出発し、戸蔦別川6号堰堤まで送っていただく。堰堤から林道ゲートをすり抜けしばらく歩くとさらに二つ目のゲートがあって、その脇にある「救急㉒」の標識を右手に見て熊笹に覆われた林道を、エサオマントッタベツ川(は見えない)に沿って歩く。崩壊か所を2か所乗り越えてさらに進むと入渓地点となる。この間の熊笹の濃さは本州の山では想像もつかない。朝露とマダニをストックで払い落としながら進む。


左岸を登る

 今回の縦走に使ったザックは容量70リットルの「osprey volt70」である。このザックの推奨荷重は17kgであり出発時点では、この程度の重量に水が1.5リットルを加えた。ただ、稜線に出ると水が採れないことと、天候の急変等による停滞を考慮すると2日分以上の水を持たなければ切り抜けない。北東カールで水は8リットル持つことにした。だからザックの重さは25kgほどに。それほどの水を担ぎ上げたが、実際に今回、43時間停滞したものの水があるという心の余裕は何物にも代えがたかった。
 今回特に装備に加えたものは①武道用すね当てヘルメットスマホロープである。特に武道用のすね当てはハイマツから向う脛を守るためになくてはならないアイテムである。また、ハイマツ漕ぎでは手袋がぼろぼろになるが、ワークマンで買った人工皮革でできた⑤作業用手袋も非常に有用であった。なにせ、稜線の3日間の使用でまったく損傷することはなかった。


300mの滑滝 左岸を行く

 入渓に当たって特に注意すべきは、沢の水量である。国土地理院の「水分水質データベース」を見て見れば、ある程度の想像ができるはずである。スマホで短時間降水予報とともに活用すれば、下山時の沢の様子を推察し判断する材料となる。アブ、ヌカカ対策として①皮膚科で処方される抗生物質の塗り薬②森林香ハッカ油を持った。ただ森林香を途中で落としてしまったので、以降、ハッカ油が頼りであった。ハッカ油をスプレーすると汗に誘引され雲霞のごとく押し寄せるヌカカを一瞬にして忌避できる(ただし、効き目はそんなに長くない)。噴霧が細かくできる値の張る(香水)スプレーに入れ替えるといい。ハッカ油は「北見ハッカ通商」製造のものしか使わない。稜線での灼熱地獄も対策がいる。モンベルの「メッシュステンレススクリーン」が通気性があっていい。ハイマツ地獄を脱出するためや増水した沢を渡るときに竿を作るための折り畳み式ノコギリも必須アイテムである。 


滑滝上部

 今回のエサオマントッタベツ川の水量は少なく、300mの滑滝も同様で、順調に北東カールまで歩いた。今回初めてカールでヒグマを見かけなかった。北東カールで沢靴を登山靴に替える。カールではコンコンと流れる水をたらふく飲み、プラティパスに約8リットル詰めて札内JPへの登路を慎重に辿る。水は登路の中間までの間に採ることができる状態であったが、これをあてにすることは危険である。水を加えたことでザックの重量は約25kgほどになった。急峻な登路を淡々と登る。1時間10分で稜線に出た。稜線は濃いガスに包まれて視界を得られなくなった。札内JPまで進んだが風も出てきたことから、テントは登路から稜線に出て札内JPに向かう途中のスペースに張ることにして戻った。ヨツバシオガマやウサギギク、アキノキリンソウが花を咲かせていたが、できる限りテントの下にならないようにした。ここは傾斜があるほか岩と木の根を窪みがあって、寝心地は甚だしくよろしくない。本当は、札内JPからエサオマントッタベツ岳方向に少し下りた登山道上のヒアマツに囲まれたスパースにテントを張りたかったが、日高側からの風に比較的弱いのであきらめたのだった。

 
300m滑滝上部のミヤマダイコンソウ

 テントを張ってから札内JPに再び行き、エサオマントッタベツ岳に登ることにした。ガスで視界はなく、ハイマツが濃く歩きづらいが登らないわけにはいかない。テントに戻ると、今日の行動時間は12時間になっていた。携帯電話のアンテナが立つので行程管理人に現在地を知らせる。風が出てきたが、すっぽりとハイマツに覆われているので、平和そのものの夜が更けていく。 


北東カールから札内JPへと登る

 6号堰堤まで送ってもらう時にユースホステルのオーナーさんから「27日(3日目)に天気が崩れるようですね。」と告げられる。そのように認識していたが、「ヤマテン」から[天候が急変し「26日後半から27日にかけて稜線で風雨が強くテント崩壊、低体温症、滑落に注意」とのメールが入る。この情報は大雪山を中心としたものであるが、日高においても大いに参考になる。気持ちがめげてくる。明26日以降に進むことができる距離とテント場の位置を考える。計画では1732mのテント場まで一気に進む予定であったが、もうそれは無理だろう。


札内JP手前の登山道上のスペースにテントを張る

 すると、天候が午前中までは持つとして行くことができるのはナメワッカ分岐までであり、あわよくば春別岳までもどうにかと予定を立てる。しかし、現実問題として1751mの藪をどうして抜けるかという難題があり、ここを速やかに抜ける必要がある。生野菜のサラダを肴にウィスキーを少し飲んで、一気に眠りの世界に就く。


参考GPS軌跡



合計 昨日 今日

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