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白峰三山 北岳〜間ノ岳〜農鳥岳テント泊縦走
(2009/ 7/15〜16)
2日目


 7月16日(2日目)


北岳から中白根岳、間ノ岳を望む

 昨晩は、何時になっても強風は止まずテントがバタバタと音を立てている。夜半、テントを雨が叩くのでときおり目が覚める。やはり天気予報のとおりだった。それでも東の空にかすかな明るさが見えたので4時には起き、テントの撤収を始める。山はガスに覆われ谷もガスがかかっているが、徐々にそれが取れ、ついにご来光を仰ぐことができた。
 Dさんは今日は農鳥小屋泊まりの予定だ。Nさんは南東斜面のお花畑を探訪したのち下山、Tさんはまだ姿を見せないが間ノ岳往復の予定だ。3人で北岳の頂上を越え、吊尾根分岐の岩峰に咲くチョウノスケソウを見た後、八本歯ノコル方向に下りて南東斜面を探索する。キタダケソウはとっくに花期が過ぎて、朝日が遅く当たるところに少し残っていた。ミヤマオダマキはちょうど見ごろを迎えたところであった。


肩ノ小屋のテント場

 南東斜面で元の道に戻るNさんと別れ、Dさんと北岳山荘に向かう。稜線に出ても風は弱く、360度雲はない。北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳・・・・、どこもはっきりと見渡すことができる大展望である。鋸岳には今日、山と渓谷にもときおり記事が載る「一人歩きの北海道山紀行」のSakagさんが登っているはずだ。このままだと今日一日天気は持つだろう。でも、朝食を摂っていない。Dさんと北岳山荘で別れ、ベンチで朝食の用意をする。間ノ岳の往復をしても、広河原午後4時発奈良田行きの最終バス(といっても、平日はこの1本のみ)には間に合うだろう。


間ノ岳からの富士山

 休憩が40分にも及んだ。それでも間に合うだろうと思いながら中白根岳を越え間ノ岳に向かう。時計を気にし、どの時点で折り返そうかと計算して歩くが、間ノ岳の頂上には結局午前9時05分の到着となった。そこにはテント泊予定だったTさん、40分先に出発したDさんがいた。Tさんは空身での往復で、Dさんは農鳥小屋泊をキャンセルして大門沢小屋まで行くと言う。
 その時点までは、自分は広河原へ戻る予定だった。Tさんは「ここでしばらく景色を眺めています。」と相変わらずのんびりしている。Dさんは「それでは。」と言って、間ノ岳頂上の広い稜線を農鳥岳方向に向かっていった。


間ノ岳から西農鳥岳、農鳥岳

 間ノ岳からは、富士山が大きく見える。頂上は風もなく、朝の清々しい空気に包まれている。今年も白峰三山縦走はお預けかと諦めムードで縦走路を見ていると、農鳥岳が「おいでよ。」と呼んでいるようだった。広河原に戻って万が一バスに乗り遅れたら目も当てられない。このまま先に進んだ場合でも、今日の体調、気力からは、広河原から奈良田へバスで行くより1時間増しぐらいで歩けるだろう。Tさんに「このまま先に進んでしまいます。ゆっくり楽しんでください。」と別れを告げ、ザックを担いで5分間の休憩に終止符を打つ。Dさんはその5分の間にずいぶんと先を行っている。

 間ノ岳南面のザレた登山道を下りる。北面に比べるべくもないが、ところどころにちょうど見ごろとなったハクサンイチゲが咲いている。Dさんはかなり速いスピードで先を行っている。あれれ、心筋梗塞は大丈夫なんだ。でも農鳥小屋で休憩しているだろうからと、同じペースで歩く。 


雷鳥 農鳥小屋へのひと登りの地点で

 小屋への登りとなった登山道脇でなにやらかまびすしい鳴き声が聞こえる。北岳登山12回目、これまでお目にかかることのなかった雷鳥が、ハイマツから首を伸ばしてこちらを見ている。何という僥倖、しかし、何という不幸。まさか荒れた天気に向かうのではないだろうね。
 間ノ岳を振り返り、三国平へ続くトラバース道を追うと、熊ノ平小屋が目に入る。午前の光を十分に浴びたゆるい傾斜地の草原に建てられている。あのような場所でのんびりできたらいいな、と思うようなところである。

 雷鳥と別れ農鳥小屋に出る。Dさんがまだいるはずと思い、小屋の受付を訪ねる。「こんにちは!」とあいさつすると、おやじさんは顔をあげることもなく「なんの用?」と言う。「黄色い合羽を着た人はいませんでしょうか。」と聞くと、「いない。」とぶっきらぼうに言う。人が嫌いなんだ、この人は。大変失礼いたしました。


間ノ岳

 そんな農鳥小屋なれど、ハイマツの周辺にはハクサンイチゲやシナノキンバイソウ、育ちのいいクロユリなどがあって、ロケーションとしては最高である。ただ、この小屋のお世話だけはなりたくないでしょう。いくらその人の真の人格が素晴らしくても、複雑化した現代社会においては、最低限のマナーとして、人と話すときは相手(の目)を見ながら会話をするでしょう。(その点、肩ノ小屋のホスピタリティはいつも秀逸です。)


農鳥岳から間ノ岳、北岳

 農鳥小屋からひと登りして西農鳥岳、次に農鳥岳に向かう。農鳥岳の頂上には雪渓が残っているし、一段下がったところに平坦な場所もあって、なかなかいい。ところで、Dさんの姿はどこにも見えない。結構飛ばしているようだ。自分もできれば明るいうちに大門沢を下りたいので淡々と歩き、大門沢降下点に至る。ここには背の高い鉄塔が建てられ、鐘が吊り下げられている。昭和43年1月4日にこの降下点を見つけることができず遭難された青年のご両親が立てられた鉄塔であった。青年のために鐘を3つ鳴らす。そして許しを得て自分のために鐘を一つ鳴らして奈良田までの長い下りの道に入る。


農鳥岳の下りから大門沢降下点

 大門沢降下点の標高は2830m余り、大門沢小屋は1715m余りなのでまず約1000m下って、そこからさらに標高800m余りの奈良田までは900mを下らなければならない。降下出発が午前12時25分であるから、いくら遅くなっても奈良田には午後6時30分には着くだろう。といことは6時間、延々と下ることになる。
 稜線では、心地よい風に吹かれ汗もかかなかったが、大腿四頭筋が悲鳴を上げるほどの下り坂で、体中が発熱し、しんどいという気持ちを通り越している。ストレッチをしてクールダウンするなどして筋肉をだまし、ようやく林道にたどりついた。 


ハクサンイチゲ 大門沢降下点からの樹林帯で

 奈良田の発電所を過ぎ、早川に掛かる橋のところでようやく携帯電話が通じた。メールを開けて返信すると「もっと早く連絡をよこしなさい。心配するでしょう。」という内容だったが、それは、北海道の大雪山で10人もの尊い命が低体温症で奪われた大惨事を知っての心配とお叱りであった。
 標高2090mに「NTTドコモの携帯が通じます。」との地元山岳会の案内板があったが、それははるか昔、MOVAが通じたころのものである肩ノ小屋も北岳も間ノ岳も、麓の町ははっきり見渡せるのだが、携帯電話が通じる場所はなかった。
 大門沢小屋で泊まる予定に変更したDさんの車はもう駐車場にはなく、相当の速度で歩き通したようだった。奈良田の里で汗を流したかったが、閉館時刻を過ぎていてかなわなかったので、自宅までの3時間、疲れた体に鞭打って車を飛ばし、翌日の仕事に備えたのであった。


大門沢で


    [行程] 1日目 広河原0855〜1120二俣1135〜1410小太郎分岐1410〜1445肩ノ小屋
             (休憩込み約5時間)
         2日目 肩ノ小屋0510〜0540北岳0540〜0700北岳山荘0740〜0905間ノ岳0910〜
           〜1145農鳥岳1150〜1225大門沢下降点1230〜1515大門沢小屋1515〜
           〜1820奈良田(休憩込み約12時間)


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