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北戸蔦別岳から1967峰を往復して下山する 
(2015/ 6/15)


ガスに曇る1967峰


 2015年 6月15日 (3日目) 
3日目の行程 : 北戸蔦別岳〜1967峰〜北戸蔦別岳〜ヌカビラ岳〜下山(千栄)


北戸蔦別岳方向が一瞬見える

 「雨が降っても行く!」との固い決意で午前3時にアラームをセットした。しかし、夕方に下山したのではレンタカーの給油ができず(そのころにはGSが閉まっている)下山後の移動が困難(翌日の新千歳空港からの早い便に間に合わせるためには日高の街に留まっていてはだめなこと)であることのほか、ピパイロ岳まで行って戻ることはできても、ヌカビラ岳からの先の急斜面を下降するには肉体的に無理があると判断し、1967峰を往復するだけにした。1967峰の岩場にはツクモグサの植生があると、昨年5月にここを通過したときに目星を付けていたから、その確認は最低限必要なことであった。それにも増して、1967峰という素晴らしい山容の山を登らずしてはもったいないという気持ちもあった。


1856mからハイマツの海を下降する

 午前2時50分、アラームが鳴る前に目覚めた。前夕のうちに作っておいた今日の朝食のタンパク質系のおかず(ハムエッグ)とシリアルなどを食し、出発の準備をする。そとは濃いガスに覆われている。夜明けが近い時刻になっても空は赤みが射してこない。雨は降っていないがハイマツがたっぷり雨粒を蓄えているのでレインウェアーを着込むが、たぶん破れてしまうだろうな〜。
(往復した結果、レインウェアーは破れなかったが、松脂が付着し、スパッツには小さな穴が開いてしまった。)
 北戸蔦別岳を出発するとき、ずぶ濡れのキタキツネが横切った。テントを破られやしないかと思い、すべての張り綱に強いテンションを掛けフライシートにもタルミのないようにしたが、それはかじられたときに少しでも歯が立たない効用があるのだろうとの思惑からであった。


北戸蔦別岳

 北戸蔦別岳から1904mまでの間は、いくらこの稜線が「日高の一級国道」と称されようとも、ひどい藪であった。藪というよりハイマツの海というべきか。ただ、その程度はエサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山の間とか、カムイエクウチカウシ山〜コイカクシュサツナイ岳の間とか、ペテガリ岳〜ヤオロマップ岳の間とか、ペテガリ岳東尾根コースとかいうところの藪のようなものでは全くない。それにしても水をたっぷり含んだハイマツやミヤマハンノキをかき分けて進むのはうんざりを通り越す辛さであった。


北戸蔦別岳頂上

 1967峰の岩場で咲くのではないかと思われたツクモグサの植生は、昨年の見立てとは違ってエゾノハクサンイチゲであった。昨年5月には葉が出ておらず涸れた葉を見てそのような思ったのだったが、よく見て見ればエゾノハクサンイチゲの葉はツクモグサのそれより幅広であった。岩場を登ってから少し進んで1967峰に着く。四囲はガスに覆われていて何も見えない。ほどなくして踵を返す。帰路1856mあたりでもキタキツネを見かけた。


二ノ沢 エゾノリュウキンカ

 相変わらず展望のない北戸蔦別岳に戻る。危惧していたキタキツネの悪戯はなかった。速やかにテントを撤収する。テントは下段に張ったが、テントスペースの土砂が流れているので、石組みを整え土壌部分を均した。最近はここにテントを張る人も増えているようだが、発つときはこのようなわずかなことを少しでもやっていただきい。使いっ放しだけのいいとこどりで「北戸蔦別岳頂上のテント泊は楽しかった。」「よかった。」と言うのでは、この山域を愛する(利用する)ものとしては如何なんでしょう。
ただし、アルミ梯子まで持ち込むのはやり過ぎであり、この自然の中では美観上もそぐわないものである。テント場の周りのハイマツの中にペットボトルが2本投げ込まれていたので持ち帰った。ペットボトルは勝手にハイマツの中には潜り込まない。山に水を担ぎ上げるのにまだペットボトルを使っている???


千呂露川 ヒダカハナシノブ

 すっかり緩くなった稜線に積もった雪の上と夏道を交互に歩いてヌカビラ岳に向かう。今年は残雪が多いようだが斜面、トラバースでもアイゼンを使うほどのことはなかった。というよりアイゼンは持っていかなかった。ただ、稜線北側はカール状のてっぺんを歩くし、少しでも滑ったら大げさに言えば500mは滑り落ちるところもあるので、そのようなところであるという認識だけは持っていた方がいいのだろうと思う。また、ヌカビラ岳から下り橄欖岩地帯から先に進むと緩斜面に雪がたっぷり残っているところもアイゼンを着用するか否かなど慎重に判断すべきところである。今年は、尾根から折れて二ノ沢の滝に向かって下りる樹林帯の急斜面には雪がほとんど残っておらず、ルートがはっきりしていて歩きやすかった。トッタノ泉まで下りると、2日前には厚い雪の下にあった水場の雪が8割方融けている。相当の降雨で融けたことが窺える。テントが浸水したこととも大量の降雨と関係があるのかもしれない。


ノビネチドリ

 標高を下げるにしたがって周囲が明るくなってくる。下山時の筋肉の活動量の増加もあって汗がたくさん出てくる。早く下山して街に出てさっぱりしたいが、日高の花々が迎えてくれるので二ノ沢に出てからはたびたび足を止めることになる。今年は特にヒダカハナシノブが多く咲いていて、このようなことはかつてなかったことだ。ソラチコザクラが浦幌町で発見されたということは昨年十勝毎日新聞が報じている。同紙によると、「ソラチコザクラは石狩川支流の空知川流域で発見されたのが名の由来。現在は夕張山地東側の空知川流域、日高地方の沙流川、新冠川流域の岩壁に生える。」とのことだが、この地以外にもソラチコザクラの群落があり、このほかヒダカイワザクラやサマニユキワリの知られざる大群落があることはごく一部の愛好家などに知られている。


ヒダカハンシノブ

 二ノ沢周辺にはノビネチドリが咲く。これまで何度か通うたびに3〜5本のノビネチドリを見かけていた。そしてノビネチドリの植生はこの周辺ではこの程度と思って、見つけるたびに喜んだものだった。ところが今回は、ここであそこでノビネチドリを多く見かけた。その数は30本を越えたであろう。そのほとんどをカメラに収めてきたが、そのせいもあって登山口への到着が大幅に遅れてしまった。それでもガソリンスタンドへはまだ十分に明るいうちに行くことができ、沙流川温泉「ひだか高原荘」でゆっくりすることができた。今夜の宿営は当初からキャンプ場と決めていた。それは夕張メロンより好きな穂別メロンを穂別の農協支所で買うためであった。これまで、樹海ロードを通るたびにその時期に購入していた。

 しかし、その直売場は閉まっていた。穂別キャンプ場に移動すると管理棟は午後5時までで閉まっていたので、管理人さんの家(農家)に行って利用申し込みをした際、そのことを伝えると、道東道が開通して車の流れが変わり、樹海ロードを通行する車が減ったことで農協の直売場も閉めざるを得なくなったとのことだった。それ以上に衝撃だったのは、「ほべつメロンは昨日出荷が始められ、セリでの値段はとても高く手を出せないものだ。」ということだった。その値段は1個3万円!その奥様は「夕張メロンも、千歳空港ではまだまだ高いからね。」ということだったが、朝7時の新千歳空港では、店で販売中に熟して食べごろになって贈答用には向かなくなった夕張メロンや安平町「追分アサヒメロン」(初セリ価格1個3万円)がお安く売られていたので即買いし持ち帰ったが、やはり北海道のメロンはどの地域のメロンも別物である。 


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