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秘密の花園 大ドッケのフクジュソウ
(2007/ 3/10)

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大ドッケ フクジュソウ

2003年の雑誌「山と渓谷」の衝撃的な大ドッケのフクジュソウの記事を見てから3年が過ぎてしまった。行きたいとは思いつつ,陰鬱な奥秩父の山のイメージや,ルートがまったく明かされていないことがフクジュソウの群落へ脚を向けるのを躊躇させていた。

2006年の暮れ,酉谷山から登って大ドッケの場所を探そうと日原に入ったが,降雪を見たので入山を中止した。今一度,本来の秩父側からのルート情報を整理,軌跡を予想しGPSに落としてみると,群落のある場所は標高約1200mの地点であり,沢筋を間違えなければフクジュソウの群落,秘密の花園にたどり着くことができるとの確信を持つに至った。

この日、最終コンビニをとっくに過ぎてしまって食料などの調達ができず,街から何キロも山に入った蕎麦屋で昼食を摂り,酒饅頭を買い求めて携帯食とした。店の主人に行き先を聞かれたので,フクジュソウを見に来たというと,「どこのフクジュソウか。」と言われる。地区の名前を忘れてしまったので「この奥の集落を入って」と答えると,「道は知っているのか。」と言う。


沢筋歩行約2時間

始めて来たこと,おおよそのルートは描いてきたことを伝えると,大ドッケへの登り口となる集落の家を紹介してくれ,そこで道を詳しく聞けと言う。あとで分かったことだが,その家が山の所有者であった。

大ドッケの入口となる付近に車を停め身支度していると,山岳警備隊に所属しているという警察官がパトカーで来て,「最近遭難があった。今から山に入って戻ってくると日が落ちてしまうので、今日は山に入るのは中止したほうがいい。」と言う。警察官は「ここは初めてか。ルートは知っているか。群落までの所要時間はどのくらいを予想しているか。下山に要する時間はどのくらいを計画しているか。ヘッドライトはあるか。非常食はあるか。」などと矢継ぎ早に質問してくる。


1000m付近から下流部を見下ろす

  秩父の山程度なら,という気持ちがなかったわけではない。時刻は既に正午を回っているが,往復に3時間もあればと考えていた。警察官は,上りに3時間,下りに2時間必要だと言う。地図に落とした予想軌跡を見せると「このルートで正しい。福寿草が咲く標高も正しい。そこが群落の場所だ。今、休暇中の警察官が2人入山している。気を付けて行ってほしい。」と許してくれる。

 集落から植林の傾斜地や崩壊地を通り,谷筋に出る。狭い沢の中間地点は石組みが延々となされていて,ワサビ田の跡のようである。さらに登ると雪が積もっていて,アイゼンまでは必要がないが慎重な脚運びが必要となってくる。


この何倍ものフクジュソウたち


春の光を待ちわびて

 時間がないので一度も休まずに登る。気温は低いが,冬の間のなまった体からは汗が噴出す。何組かが下りてきて,群落地の様子を語る。山の「もう少しだよ。」は,まだしばらくの意味でもあるが,ちょうど2時間となったとき,沢の先が膨らんで見え,そこが長年夢見たフクジュソウの花園であった。陽も翳り始めた夕暮れの花園にはもう誰もいない。みずみずしいフクジュソウの花が,そこだけぽっかりと空いた、なだらかな傾斜地を覆っていて周囲の雪を溶かし,まさにこの世の別天地である。


巨樹に寄り添いながら

 秘密の花園はやっぱりあったのだ。咲いたばかりのフクジュソウの群落。夕暮れの西に傾いたわずかな日差しを求めて、花々は首をもたげている。去り難いが、初めての場所である。明るいうちに麓に下りよう。来年はもっと早い時間に登って、ゆっくり花々を見ることにしよう。

<お断り>秘密の花園につき,周辺の固有名詞は「大ドッケ」のみとしました。


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