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道迷いのビバーク者と出会う 酉谷山避難小屋からスズ尾根
2011/ 2/ 19〜20


酉谷山避難小屋(裏側から)


 2月 20日 (2日目) 

 湯たんぽのお湯が冷めて夜中に一度目を覚ますが、再び寝入って起きると富士山がくっきりと見えていた。結局9時間半も寝てしまったが、雲取山への縦走はあきらめていたから、のんびり出発することにした。青年はお付き合いでゆっくり起きてくれたようだった。日原発11:00のバスに乗ると言って07:30ごろ出発して行った。果たして間に合うだろうか。高校時代に山岳部で鍛えられた若者だから走ればなんとかなるのだろう。

 すっかり日が昇って明るくなった小屋でのんびりしていると、至福の時間は瞬く間に過ぎてゆく。今日は小屋の板張りと土間をきれいにしようと掃除する。しかし、疲れからかいつもは持って帰る前者の残置ゴミを持って帰る気分にはならなかった。土間用のほうきや塵取りが小屋裏に置かれて雪をかぶっている。トイレにビニール袋で包まれた予備用の太巻きのトイレットペーパーはなくなり、棚に置かれていた大量のトイレ消臭剤も跡形なく持ち去られているようだったことも、モチベーションを低下させた理由の一つであった。どの世にも一定の割合で規範を超えた行いをする人はいるが、ここ酉谷山避難小屋訪問者に限って言えば、善男善女が大多数である(はず)。水場の枡にたまった水を少し口に含んでから小屋を後にする。


いつもの”富士山”

 青年の足跡が長沢背稜に残っている。靴跡から相当急いで歩いていることがうかがわれる。いつもは携帯の電波が立つ七跳尾根分岐でメールチェックするが、圏外表示が出たままだ。テルモスに入れたスープを飲んで一息ついていると酉谷山方向から男性が歩いてきた。まだ午前10時前だし、どこから上がってきたのか聞くと、こうだった。

 「昨日、酉谷山避難小屋に泊まるつもりで熊倉山から登ってきました。熊倉山まではほかに登山者もいたのですが、アイゼンを持っていないということで引き返し、酉谷山までは私一人で、トレースもありませんでした。酉谷山に着いたときは暗くなっており、小屋を探しながら歩いたのですが結局見つけることができず、頂上から少し下りたところでテントを張り一晩過ごしたのです。テントの中は寒くもなかったですよ。」


長沢背稜(奥多摩側)

 この男性のザックの素材はあこがれのショーラーだし、ワカンもくくり付けて雪に備えている。その風貌は経験豊かな山やさんだったが、つい「GPSの買い時ですね。」と余分なことを言ってしまった。しかしながら、そのGPSを持った本人は、ツェルトも持たずほうほうの体で小屋にたどり着いているのだから、何をか言わんやだ。(反省いたしております。)
 七跳尾根の分岐から滑りやすい登山道を進む。いつものように一杯水避難小屋で一服したのち、ヨコスズ尾根を一気に東日原へと下る。


はるかかなたに上州の山々が見える

 奥多摩駅から電車に乗る。小屋で一緒だった青年が車両の前方にいる。予定のバスに間に合わなかったようだった。電車の中は暖かくて気持ちよく、うとうとしていたら母親に連れられた女の子が隣の席に座ろうか座るまいかと逡巡している。「おかあさんも一緒にどうぞ。」と席を譲ると明るい声で「ありがとう。」と言ってくる。青梅駅での乗り換えのために列車を下りようとすると、お母さんと女の子が「ありがとうございました。」とまたお礼を言ってくる。すくすくと、そして常識的に育てられた愛くるしい女の子の姿に癒されて中央線快速に乗り換える。


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