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酉谷山避難小屋から大平山を下る
2012/ 4/ 6〜7


これから行きます 大ドッケ


 4月 7日 (2日目の前半) 

 いやぁ、よく寝た。爽やかな朝の目覚めである。小屋の窓からは雪を纏った富士山が顔を見せている。もう下界では桜が咲いているというのに小屋の外はマイナス7度、小屋の中も3度ほどしかないので寒いことは寒いのだが、春のひかりはやはり心を温かくさせてくれる。今日は、大平山を経て大ドッケに向かいフクジュソウを見ることにしている。浦山大日堂からの一番のバスは見送り午後2時10分発の第2便に乗ることにしたので、ゆっくり朝ごはんを作る。


今回も富士山が

 もう何度もメスティンでお米を炊いてきたので、コメを上手に炊くことにあまり問題はなくなっている。はじめは強火、湯気が出てきたら中火、沸騰したら蓋のすき間から水分がもれなくなる手前まで中火をキープ、焦げの匂いが仕掛ったらとろ火で湯気が出なくなる手前でコンロから下ろして蒸らせばOK!時計で時間を計ってなどという方法は面倒であり、そのような必要もない。


メスティンで朝の支度

 ご覧のとおり↓、米が立つとはこのことなのだろう。見事な出来栄えである。


 今朝目覚めたのは午前5時と早いと言えば早い。ごはんを作って、食べて、コーヒーを沸かして、片付けてもまだまだ出発までの時間が余っている。小屋の東側(トイレ側)に朝陽が当たっているのでひなたぼっこ。平和な時が静かに流れている。昨日あれだけこぼされていた土間の水は乾ききっている。小屋の窓を満開にして恒例の掃除を行って小屋を出発することにする。


ピリリと緊張した空気

 すっかり雪が融け、それでもガチガチのままの長沢背稜の登山道を七跳山へと向かう。朝一番の七跳山へ登る苦しいときに、NHKラジオから岸本加世子さんによる大震災の被災地である石巻の中学生が書いた"家族"という作文の朗読が、榊原大さんの優しいピアノをバックに流れてきた。津波から走って逃れるときに力尽き死を覚悟した母を叱咤し学校に避難、はぐれて行方が分からなくなった6歳の妹を探しに戻り、ようやく別な避難場所で泣き叫ぶ妹を見つけて真っ暗な中夜をふたりで過ごすなど極限の体験をしたその情景描写、心理描写に触れた時、心が乱れてしまった。これは、静岡県三島市による「東日本大震災から1年・支援チャリチィー =震災復興支援・届け!三島の祈り=」の催しの中のものだった。


間もなくこの山頂もツツジで覆われる

 七跳山に登り呼吸の乱れも心の乱れも収まって、大平山へと向かう。雪がまだたっぷりと残っている大平山までは足跡はありないが、大平山から先には複数の足跡があり、ピークには新しい山名板が取り付けられている。大平山からしばらく下りると複数の新しい足跡が踵を返している。ここまででも結構きつかったのだろう。あとしばらくすると大ネド尾根分岐というところで男性が向かって歩いくる。昨日今日で初めて出合った人だ。


藪もまた楽し?

 大ネド尾根からしばらく下って、例の降下点に着く。ここから急傾斜の藪を150mほど下ると件の場所にたどり着く(予定)だ。間もなくぼや〜っと黄色のしゅうたんが見えて来た。沢を登ってきたとみられる男性2人が夢中でフクジュソウにカメラを向けている。一見微笑ましい光景だが、足許は大変なことになっている。踏み荒らしがひどい。


この人たちは、このあとどうなるか思いが至らない


3月22日には踏み込みはなかった(左)が、今日は酷くやられている

 この群落地に稜線から下りると落ち葉を踏んだり枯れ枝を踏み折ったりと結構な音がする。しかし、先着の2人はその距離数メートルになっても顔を上げようともしない。それもそのはずでだ。これほど踏み込んでいる現場を見られたら腰を上げるのも恥ずかしいことだということだけは分かっているようだ。知らんふりを決め込んでいる。この落ち葉の斜面はフクジュソウの幼苗がたくさんあったところだ。でも、もうここが踏み込まれたので後から来る者が免罪符を得てどんどんと踏み込んでいってしまうだろう。自戒を込めて・・・「ネットの功罪ここにあり」


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