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雪のタワ尾根を下る
2013/12/27〜28


酉谷山避難小屋


 12月28日(土) 2日目  

 夜半に一度目を覚ますと、夕方の雪とは打って変わって星空が広がっていた。安心してまた眠りに就く。そして再び目を覚ますと東の方向に街の灯りが煌めき、夜が明けようとしている。タワ尾根に朝陽が当たり始め富士山が姿を現している。室温マイナス1℃、外気温マイナス13℃である。洗濯紐に掛けていた濡れた衣類はすっかり乾いている。わずかな光源のランタンの威力は侮れない。  


タワ尾根

 昨夕掘り起こした水場は、完璧に水が止まったままだった。この寒さだけが原因ではあるまい。人為的な何かがあったはずだが、それは雪が溶けてみないと分からない。またしても動くはずのないゴムシートが動いている。いつか自分で自分の首を絞めることになるということは、今の世相の動きと似ている。あとは野となれ山となれの無思慮、無分別がこのようなことになる。水場は触るなと書かれている意味も分からずに・・・。 


水場は完全にアウト

 新雪を少し溶かしてみる。中国から飛来する汚染された空気が混じっていることを考えると、食事に使うわけにはいかない。溶けた水は、細かく砕けた落ち葉のようなものが浮遊している。帰路の水を確保するために、メスティンで米を炊き、味噌汁を作ったりすることをやめる。ハムエッグを作り、全粒粉の食パンとコーヒーで朝食とする。


酉谷山避難小屋

 5時前に起きたのに、もう午前8時近くになってしまった。名残惜しいが小屋に別れを告げる。タワ尾根の合流部でビバークした先行者のトレースは小屋から直接下りている。一杯水避難小屋方向には雪が積もったままで、ここしばらく歩かれた様子はないし、ヨコスズ尾根の急斜面のリスクを考えると、タワ尾根を戻った方がよさそうと、元来た道を辿る。相模湾?が金色に輝いている。長沢背稜のトレースは吹雪で消えているところも少なくない。残っている昨日の自分のトレースの歩幅はあまりにも狭い。それほど苦しい思いをして歩いていたのだった。 


吹き溜まりの中央が長沢背稜の登山道

 酒も水も食料も消費したこともあるが、75リットルのザックがあまりにも軽い。それほどぐっすりと眠って休養し体調もいいということだ。一人ラッセルも苦にならない。トレースが消えていないところは身軽だ。しかし、実際には結構な時間を要しながら歩いている。今日は土曜日だから何組かとは出会うだろうと思いながらタワ尾根を下るが、いっこうに人には出逢わない。ついに一石神社に下りてしまい、日原の集落に入る。すると、一台の車が停まり、聞いてくる。「明日、タワ尾根を登るので下見に来ました。雪はどうでしたか。」と。


酉谷山避難尾小屋が見える やはり遠い

 ウトウノ頭からさらに下りて、馬酔木のプロムナードから長沢背稜を見やると、酉谷山とその鞍部に酉谷山避難小屋が見える。その手前、長沢背稜からなだらかに派生する尾根は嘉右衛門尾根である。2013年6月4日、天祖山から登ったとみられ行方不明となっている登山者のザックなどの所持品が、11月3日、嘉右衛門尾根(上滝尾根)で見つかったと捜索ビラに書かれている。長沢背稜をタワ尾根から一杯水方向に進むと、嘉右衛門尾根に導かれる。そしてそこには付けてはならないテープがたくさん取り付けられていた。バリエーションルートだとかあ〜だとかこ〜だとか言って、タワ尾根にも枝尾根の支点はもとより、尾根筋の赤子でも間違えようがないところにもベタベタと見苦しという言葉を通り越すほどのテープが括り付けられている。遭難者はそのようなテープが何を意味するか判別できず、長沢背稜からそのまま嘉右衛門尾根に誘導されたのではないだろうか。(嘉右衛門尾根の取付き口に酉谷山方向を示す私製の案内板が掛けられたので、この標識を見落とさなければ、間違って踏み込むことはなくなるだろう。)ここは大きく鋭角的に左に弧を描きUターンするような感じで嘉右衛門尾根を忌避する必要がある。いずれにしても、ベタベタと見苦しいほどのテープを括り付けなければならないとしたら、如何に昭文社のマップに点線が引かれようが、タワ尾根をはじめこの界隈を歩くのは時期尚早だということに気付く必要がある。


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