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仙元尾根から酉谷山避難小屋へ
2013/ 3/29〜30
■ 3月29日・土曜日 (1日目) ■
1日目の予報より2日目の方がいいからと、大ドッケのフクジュソウ群落地は後回しにすることとし、途中、道路脇の花を愛でつつ浦山大日堂に着く。平日とあってこの時期だけ特有の喧騒はなく、ゆっくりと身支度を整え浦山大日堂から仙元尾根の急斜面に取り付く。すでに道に雪は残ってはいないが、石突は氷の感触を得る。
ミヤマキケマン
仙元尾根は、どこまでも鬱蒼とした植林地に道が付けられ、ところどころに残る広葉樹林の2次林、3次林の林床は鹿が食べつくしているから緑はまったくない。こんな面白みの乏しい尾根を歩くのも今回で6回目となるが、その理由は「静かな山歩き」と酉谷山避難小屋へ6〜7時間を要する「トングトレイル」にある。超マイナーなルートだけに踏み跡はところどころ薄く、そのためか、どうでもいいところ(尾根の1本道にも)大量のテープが延々と付けられているが、登山者をして異常な心理がなせる業であろう。
エイザンスミレ(?)
下界は春真っ盛りで桜も満開ではあるが、一杯水の水場は凍ったまま。そんな日陰の道も、サクサクと歩くとロングのTシャツ+Tシャツ姿でも汗をうっすらとかく。そしてようやく一杯水避難小屋に到着してポカリを摂取して一息つく。小屋のコンクリートのたたきにはうっすらと水が残り、どなたかがきれいに清掃した様子がうかがえられる。何足かあるビニールのサンダルはきちんとそろえられていて、善男善女を待っているかのようだが、小屋ノートにもあるように「持ちきれない」ほどのゴミという始末(この日はもうなかったが、酷いときもままある)が必要だと言うのは、ここが里から近い(来やすい)ということもあるのだろう。
馬酔木
一杯水避難小屋からはさらに2時間、酉谷山避難小屋までは(仙元尾根を登ってくると)遠い。15分間のランチタイムを切り上げ、長沢背稜を進む。雪解けで柔らかくなった道に残されている足跡は前方からのものである。タワ尾根から、芋ノ木ドッケから来ていなければ今夜の小屋は一人、独占?
2013/03/29 18:11の酉谷山避難小屋1
長沢背稜から酉谷山避難小屋へのアプローチを辿ると、冬の間ポタリポタリと瀕死状態だった水場から、盛大な音が聞こえてくる。そしてひっそりと人の気配が感じられない小屋・・・。これだから苦労した甲斐があるというもの。さっそく小屋を見聞すると、前の人がとてもきれいにしてくれた様子がひしひしと伝わってくる。
18:12
カルキの匂いが残ったプラティパスの水を捨てて、まずは「酉谷のうまい水」を汲んで贅沢にもそれで武甲正宗の燗をつける。ところがその武甲正宗のラベルを見ると糖類添加の表示があって、急激にモチベーションは下がってしまい、せっかくの秩父錦に手が伸びなくなってしまった。(武甲正宗は杜氏が代わって味は格段によくなったそう。コンビニで何も考えずカップ酒を買ったほうに落ち度がある。)
フクジュソウ(5)
新聞を読んで、ワンセグで夜7時のニュースを見るともう就寝タイム。小屋に着く直前に降り出した雨はしとしとと続いている。こんな夜はいつもの鹿の来訪もなく、静寂の中、すう〜っと眠りに就いて気が付けば翌朝3時という極楽な夜を過ごした。
2日目の朝の水場
2日目は、七跳山から大平山を経由して大ドッケを訪ねたが、あまりの惨状に惨憺たる思いで下山する。前回、「あとどのくらいいるの?」と言うぐらいの東ハイのすざましい人数の集団登山とすれ違ったが、そのような大ドッケにそぐわない商業登山ツアーも交えた登山者軍団の軍靴が、たった2週間の間に、どのように秘密の花園を蹂躙したのかの続きは長編で・・・。
往路(1日目) | 復路(2日目) | |||||
着 | 地点 | 発 |
着 | 地点 | 発 | |
浦山大日堂 | 0920 | 酉谷山避難小屋 | 0640 | |||
1145 | 大ドッケ | 1150 | 0735 | 七跳山 | 0735 | |
1240 | 仙元峠 | 1240 | 0820 | 大平山 | 0830 | |
1335 | 一杯水避難小屋 | 1350 | 0920 | 大ドッケ | 0930 | |
1510 | 七跳尾根分岐 | 1510 | 1100 | 浦山大日堂 | ||
1600 | 酉谷山避難小屋 | |||||
所要時間 | 0620 | 所要時間 | 0440 |