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酉谷山避難小屋からタワ尾根を下る
2015/ 1/23〜24

酉谷山避難小屋


 1月24日(土)

 酉谷山避難小屋の中の気温は、+5℃ほどであった。外気温が−7℃ほどだったので、小屋内は前日に暖められた温かさが保たれていたのだった。小屋の窓から見る相模原辺りの夜景がきれいだ。そのうちにタワ尾根が朝日に染まって酉谷山界隈の朝が明ける。お米を炊いて朝食とする。旅館に泊まって供されるような日本の朝ごはん。これで1日の元気が出ないわけはない。燃されたローソクが裸で置かれている。小屋を一通りきれいにして小屋を後にする。


酉谷山避難小屋の水場

 今回の酉谷山避難小屋の水場はと言うと・・・。
 もう、こうなると病気ともいえる状態だった。と言うのも、またしても水場の石組みが弄られている。もはや、この水場の水は出なくてもいいというような無責任さを感じる。だからと言って、今日の水場で水が採れなかったというわけではない。ただ、朝は水が極端に細くなっていた。この原因は、水の湧出状態の微妙な変化、季節的要因にある。だから、触ってはいけないのだということが理解できぬまま石組みを替える、触るなどするから、ただでさえ細い水を得ることができなくなるということが分からないのだろう。 


 そのうち水が細くなって

 小屋から上がって長沢背稜に出る。快晴、微風。昨日のトレースを辿ってタワ尾根に出合う。いくらトレースがあっても夏道に比べれば時間はかかる。ところどころ吹雪によりトレースが消えているところもあったが、積雪の量自体が多くないので負担にはならなかった。酉谷山界隈のハイライトは、夏も冬も長沢背稜の小屋からタワ尾根出合までの間の自然林歩きである。この間はゆっくりしたアップダウンがあり、酉谷山を巻いて酉谷山避難小屋に向かうときはだらだらとした登りが結構辛いところだ。


富士の山

 土曜日だというのに、タワ尾根でもすれ違う人もいないと思っていたら、単独の年配男性と出会う。
「こんにちは。」「どこまでですか?」
「長沢背稜。」
「泊まりですか?」
「酉谷山避難小屋。」(なかなか簡潔な応答ではある。)
 その後、タワ尾根を下っていくと昨日つけた自分の足跡の上に寸分たがわずというほど足を置いている。袖振り合うも多生の縁という。「他」と言う字の対語は「自」である。ヤマレコユーザーさんの記録を見ると、酉谷山避難小屋でのんびりされたようだ。


酉谷山避難小屋

 このユーザーさんは、「下山時(翌日のタワ尾根「トレースは明瞭で歩き易い。時折尾根の広い場所が出てくるが雪の上のトレースははっきりしており落ち葉で道が隠れる無雪期より却ってコースは明瞭」「長沢背稜やタワ尾根にトレースつけてくれた皆さんに感謝」と結んでいる。人(登山者も誰でも自分も)は、この世で生きていく上で、どこかで必ず人(他人)のお世話になっていることは忘れまい。こんなことを綴っていたら、某国で起きた大殺戮事件のそのさなかにいたときのことをあれこれと思い出した。人というのは、今困っていない時は人に目を向けなくても、少しでも身に危険を感じると自分が生き延びるためにおのれの思想もなにもかもかなぐり捨てて命乞いをするものだ。

 「人に出会わなくても、やっぱり人に助けられるんだなあ、と先行者の足跡に感謝した山行でした。」とタワ尾根の記録を綴っているブログがあった。


長沢背稜

 2014年12月1日、酉谷山へ大血川から入山し、聖尾根で迷って滑落したものの一晩山中で過ごし自力で救難を要請、下山したという遭難事故について埼玉県警のHPに記述があった。71歳のご老人ということだ。遭難は年齢には関係するものではない。しかし、2012年、酉谷山への道を迷って山中を3日間も彷徨った挙句救助されて「遭難じゃない。」などとのたまったのも老人、老害の極みではあるが、自戒しなくては!


タワ尾根から雲取山荘と雲取山

 タワ尾根は、自然林が残っていて春夏秋冬、いつ登ってもその光景は美しい。そんなタワ尾根をただおのれの山登りのために歩くのではなく、先人がこのような場所を残してくれたことにも含め、あれこれと感謝しながらまたタワ尾根を登ろう。 


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