[HOME] [2日目]


岩場でこけて〜タワ尾根から酉谷山避難小屋
2015/ 2/13〜14

酉谷山避難小屋


 2月13日(金)

 毎年恒例のくろがね小屋泊まりの安達太良山登山が実現しない。それは天候のせいもあるけれど、小屋番の「I」さんが2015年1月で辞めてしまう(辞めた)ということを知ってしまったこともある。高速道路を使って300km走り、吹雪の中到着したくろがね小屋で迎えてくれたIさんの有形無形の心遣いがよかった。夕食時、宿泊者を前にしてあれこれこと細かく注意事項、禁止事項ばかりを並べたてるようなこともなく、ゆっくりした心もちで小屋を利用することができた。そんな雰囲気を楽しみにして、安達太良山に登れようが登れまいが、どちらかというとそのことは些事であったのだった。ただし、小屋番さんの勤務の実態と雇用条件を知ると、これまでいかに小屋番さんのプライベートな時間を犠牲にして甘えていたかということがよく分かるのであった。


稜線の少し下にある酉谷山避難小屋

 くろがね小屋の管理運営を受託している公益財団法人福島県観光物産交流協会は、Iさんが辞めたことによって生じた欠員を募集している。賃金等の詳細の記載は控えるが、求人情報を見ると、家庭を持った成人が将来設計を描きながら生活を維持するに必要な賃金とはほど遠いというのが実際だ。福島県職員(平均42歳)の月額給与の平均約42万円とのこと。小屋を守る人の就業の実態からするとあまりにも激しい格差に驚く。一度勤務に就くと24時間拘束されながら、ひと月あたりの残業代は5時間?それにしても酷い労働条件には驚くばかりである。(なお、これらは小屋番さんから聞いたものではなく、財団、ハローワーク、県の資料からの公開情報から得たものからの推定であるので念のため。)


 哀れ!

 だから、Iさんが辞める前に小屋に行きたかったが、気象条件が悪く、そしてIさんもすでに山を下りてしまっているということであったから、これから先のくろがね小屋泊まりの安達太良山は、スカッと晴れた日を選んで行こう、今回もタワ尾根を登ろうと奥多摩駅に向かった。雪が降ったばかりということもあって平日の朝の電車にザックを背負った人の姿は少なかった。奥多摩駅から鴨沢へ行くバスにはそこそこの人数が乗ったが、東日原〜日原鍾乳洞行きのバスの乗客は3人だけで、終点の日原鍾乳洞で下りたのは一人だけであった。バスには運転手さんと車掌さんが乗務しているが、往路も復路も私語のし通しでありうるさい。 


2段目から落ちる

 一石神社で額ずいてから凍土の急斜面を登る。支尾根に出た。ベンチは寒いのでそそくさと燕岩の上の尾根に登り、一石山を経て尾根道を金袋山の巨樹方向へ向けて歩く。うっすらと残った雪の上に往復2〜3人分の足跡がある。ときおり西から風がゴォーと強く吹きつけてくる。金袋山を過ぎるころから雪が多く積もっている。トレースがあるからそれほど歩行に支障は及ぼさない。篶坂ノ丸からも雪はそれほどでもない。ウトウノ頭でも風が強い。いつもは汗が出るのに風で体温が奪われて、汗どころではない。ウトウノ頭からの北側の急斜面はアイスバーンとなっている。アイゼンを付けないで下りたが、雪の下がツルツルとなっているので、その先のことを考えてアイゼンを装着した。
 これが間違いのもとで、岩場の狭い足場で足をそろえたとき、足枷を嵌められたように爪を引っかけてしまい、こけしが倒れるように岩場から斜面に倒れ落ちてしまった。一瞬のことで何もできなかった。顔面から雪の中にうっぷしてしまったが、かすり傷を負っただけだった。バックルを外してザックを斜面から滑らせて体を自由にし、自分もザックが止まったところまで斜面を滑り落ちる。 


タワ尾根から分かれ長沢背稜へ

 大京ノクビレでこれまであったトレースが踵を返している。深いところで膝下の雪を踏んで歩くことはエネルギーを必要とすることだったろう。その先には一人分の歩幅の大きな足跡が延びている。その人のトレースを借用して長沢背稜に出る。雲取山方向に一人分のトレースがある。明日はこのトレースを追って雲取山へ向かうことになるのだろうか。先の転倒ですっかり心は挫けている。もしこのトレースが水沢山から先に続かず天祖山に向かっていたら・・・。そのような不慮のことを想定してテント泊装備を持ってきてはいるし、日程的にも十分余裕を持たせてきたが、たぶん明日は下りてしまうだろう。


酉谷山避難小屋

 いつもなら、タワ尾根〜酉谷山避難小屋までの所要時間は早いときで5時間程度なのに、今日は長沢背稜に出るだけで5時間かかってしまった。ここから小屋までは最低でも2時間は見なければならない。陽があるうちに着けるかどうか。トレースは一杯水方向からの一人分とタワ尾根から続いている一人分があったものの、やはり夏道のときの倍の2時間かかって酉谷山避難小屋に着いた。


メステインでご飯

 小屋の戸を開けてみると、当然のように誰もいない。2015年2月中旬までの小屋の使用者で分かっている範囲では、
11〜12日 一杯水〜雲取山予定で酉谷山避難小屋泊、水松山で撤退(小屋ノートから)
11〜13日 一杯水(泊)〜酉谷山避難小屋泊〜(○○さん)
13〜14日 タワ尾根〜酉谷山避難小屋(私・老少年)
14〜15日 タワ尾根〜酉谷山避難小屋(翌日タワ尾根ですれ違った単独女子さん)
と結構な使用頻度である。
 ノートに書き込んだ人が雲取山をあきらめていることから、今日長沢背稜にあったトレースがこの人のもので、やはり雲取山へのトレースはなく、その先に進むのにどのくらいの時間が必要かということを想像すると、明日下りるのが正解。フミさんも一杯水避難小屋から酉谷山避難小屋まで5時間かかったとのこと。

 明日は、またタワ尾根を戻って下りるだけとの気楽さから、すっかりのんびりモードになってしまった。ハクレイさんの日本酒を飲みつつご飯を炊く。6時にはもうシュラフに潜り込んで寝入ってしまう。


[HOME] [2日目]