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酉谷山避難小屋から一杯水避難小屋経由で下山 (2016/11/22)


【2日目】
2016・11・22(火)
酉谷山避難小屋〜七跳尾根分岐〜一杯水避難小屋〜東日原


篤志を持った人の贈り物 

泡の飲み物を飲んだので夜半にトイレに行きたくなる。温かいシュラフから抜け出すのに2,30分もかかってしまう。それまでの雨がやんで青梅の街だろうか、灯りが見える。お隣さんのいびきと無呼吸の息遣いが激しく、それからはラジオ深夜便のお世話になる。。


一杯水避難小屋で使うなら自分で買うこと

もう寝てられないと05:30に起きてお湯を沸かしコーヒータイムに入る。ラジオが緊急地震速報を流す。05:59に福島沖を震源とする地震があったことがニュースで分かるが、酉谷山避難小屋ではまったく揺れが感じられず、お隣の2人は継続して睡眠中である。
小屋の外に目をやると、徐々に霧が晴れていい天気に向かっている。富士山には朝日が当たり、傘雲がかかっている。何も追われることのないことが約束されている一日の始まりに、のんびりと簡素な朝食を作る。あまりにもストレスフリーな山での生活を静かに楽しむ。


2日目朝の水場

同宿のお2人も起きて朝食タイム、それが済むと板の間の掃除に取り掛かっている。「私が最後にゆっくり出るので掃除はいいですよ。」というべきところ、その言葉を飲み込んで掃除を見守る。酉谷山避難小屋においては、掃除をするという行為そのものに意義がある。誰にも言われるわけではない、強制されるわけではないが立つ鳥跡を濁さず。この心意気が崇高な精神なのだ。カップ麺野郎が2つもゴミを縦走路に(意図して)落としていった行為からするとなんと美しい風景。


2日目 酉谷山避難小屋から長沢背稜へ

同宿の2人は小黒〜熊倉山経由で下りるとのことで、板の間の掃除を終えて出発していく。最終的に小屋全体を掃除しトイレを仕上げて小屋を辞す。すっかりいい天気になった長沢背稜を一杯水避難小屋に向かって進む。途中でGPSのスイッチの入れ忘れに気付き、正確なログを録るためにいったん小屋に戻って衛星を補足する。


2日目 長沢江量から酉谷山避難小屋

気を取り直して長沢背稜に復帰する。昨日の天候とは打って変わっての晴天、穏やかな朝だ。スラックスは夏山仕様、上はウールのロングスリーブシャツに半袖のハイブリッド(ウール+化繊)のジップアップの半袖シャツでちょうどいい感じ。今回は昨日から1回もストレッチをしていないので太ももの外側の筋肉(大腿筋膜張筋のストレッチの方法)が張って痛い。この筋肉を始めとする特に下肢の痛みを取るためにスポーツトレーナーを兼務する先生がいる整骨院に何度か通ったが、この愁訴に対し的確には応えてもらえず、いつも自己流のストレッチで対応していた。


2日目 長沢背稜から見る酉谷山避難小屋

今回は大腿筋膜張筋の痛みよりもふくらはぎ(腓腹筋ひふくきん)とアキレス腱の痛みが勝っているので、張り出した木の根を利用してゆっくりとストレッチをする。これにより今日は下山するま下腿部の筋肉が元気に動いてくれるはず。ちなみに北岳テント泊登山の場合、下腿部に疲れを感じると太ももとふくらはぎのストレッチを1日に1〜2回(1回につき所要時間は5分間程度)をすると比較的軽やかに歩くことができる。


2日目 長沢背稜

通常だと1時間30分程度の一杯水避難小屋までのまで時間をオーバーして2時間で到着する。この小屋にはサーマレストのマットが置かれている。実はこのマットは「山歩きの記録」の管理人さんが小黒界隈で落としたもので、ヤマレコさんが拾って酉谷山避難小屋に寄贈したものである。
ある年に私が酉谷山避難小屋に持ち込んだ汲み取り トイレバイオ消臭6箱の大半がなくなっていたが、それが一杯水避難小屋に持ち込まれた模様であった。このほか、今年も4箱あった未開封のトイレバイオ消臭のうち2箱が忽然と姿を消したので一杯水避難小屋を見ると、2箱が置かれていて一杯水避難小屋への水平移動の疑いが持たれるのであった。
これを事実だと断定するわけにはいかないが、自分が特定の小屋のために酉谷山避難小屋に持ち込むのなら、それはなかろう。自分の財布から金を出して買って寄贈するのが当たり前の大人の行いである。そう言えば、酉谷山避難小屋の竹ぼうきも一杯水避難小屋に運び込まれたことがあったが、このような小汚い行為は許すわけにはいかない。いずれにしても自分が好んで利用する避難小屋に対する行為を、人(他人)の金銭的支出物を持ち去ってやるというのは恥ずかしい限りの行為だということも分からない盗人(泥棒)そのものの行為と言わざるを得ない。一杯水避難小屋では過去に強盗犯が逮捕されている。


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