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滑落注意!矢岳から酉谷山避難小屋へ

2011/ 3/24〜25


ご注意 : 矢岳は遭難事故が多く、熟達者向きの山とされています。
季節や天候によっても難易度は大きく変化するものと思われます。
ビバークの装備をそろえ自己責任でこの山域をお楽しみください。


 東日本を襲った地震・津波・原発というかつてない大きな震災が発生してまだ2週間しか経っていない時期の山登りに、後ろめたい気持ちはあった。しかし、個人が今すぐにできることには限りがあり、いつまでも委縮していても生産的ではないと、ガソリンを使用しなくて済む奥秩父の山へと始発電車に乗り、秩父の街へと向かう。自宅から池袋への始発電車には、それぞれの持ち場の責任を全うしようとする人が大勢乗っていて、そこで大きなザックを背負っていること場違いに見えないこともない。

 今回の山登りは、滑落や道迷いによる遭難事故が多いことにより、これまで入山をちゅうちょしていた秩父の矢岳を、敢えてこの雪の時期に選んだ。下山は熊倉山経由を予定したが、下山口が駅に直結していてマイカーを使わなくてすむし、バスに乗る必要もないのが矢岳を目的とした大きな理由でもあった。


年代物の標識(大反山を指している)

 登山口となる秩父鉄道武州中川駅で降り、一直線に山裾へと向かう。さらに進むと左側にあずまやがあってその脇に「ハイキングコース入口」の標識ポールが立っている。ここから樹林帯に入りしばらくすると民家脇に出る。民家前を通り小屋から右に曲がって山に入るが、そこには理由は明示されてはいないが立ち入り禁止の黄色いテープが張られている。
 
 樹林帯のえぐれた道を行くと「フクジュソウ」と書かれた看板が見える。左に行くと「国見の広場」でフクジュソウが見られるはずだが、先の民家のフクジュソウはすでに花を終えていたから、国見の広場も同じだろうと思う。次の目印は神社だが、それらしきものは見当たらず(樹林帯の道の左上にある)、大反山を巻く道をクタシノクビレへと向かう。途中送電用鉄塔のために樹林が広く伐採されたところを通ってクビレに出て、そこを直角に右に曲がって尾根を登る。するとすぐ先に次の鉄塔が見え、以降、主尾根に出ると左に曲がって、以降忠実に標高を上げていくことになる。


篠戸山

 樹林帯をどんどん登っていくと、最後に割と急な岩交じりの斜面を登りきる。そこには大規模な伐採斜面が開ける。さらに進むと秩父さくら湖が見え「ネイチャーランド浦山」のものと思われるあずまやが見える。伐採斜面ではワイヤーロープで木を降ろす作業が行われている。途中「篠戸山」の標識が木に巻き付けられている。「昭和59年4月12日 奥武蔵研究会」と記されている。地図上ではここが「1040m」である。向かいの尾根はバラモ尾根でその先に目を移すと大ドッケであり大平山である。尾根には雪が見える。この尾根の陰のフクジュソウは今、まだたくさんの雪に覆われているのだろう。


馬酔木のトンネル

 再び樹林帯に入りデンゴー平に下りる。デンゴー平からもしばらく樹林帯が続くが、矢岳に近づくと次第に痩せ尾根となり灌木が主体となる。馬酔木が花を咲かせようとしている。背の低い馬酔木は雪をたっぷり蓄えていて、払い落としながら先に進む。大きな岩が痩せ尾根をふさいだりしているが、巻くこともせずに通過がかなう。のんびりした矢岳の頂上に立ち、難しいと考えていた矢岳はこんなものかと高をくくっていたが、そこから先はまさに試練の連続であった。


矢岳(長沢背稜方向から見る)

 矢岳から先の下りはまだよかった。雪が降ってきて視界が悪くなってきた。それでも烏帽子谷への分岐点があるはずの大きな頂への斜面がそびえている。その分岐点を確認ができないまま赤岩ノ頭の登りに差し掛かった。そこまでの北斜面のそこかしこがアイスバーンとなっていたが、特に赤岩ノ頭の北斜面は手がかりも少なく閉口した。そして最大の難関と思っていた太い木と太い根っこしか手がかりのないところで案の定足をすくわれ斜面に叩きつけられた。それでも直径数センチの木に止められて起き上がる。その後も厳しい斜面が続いた。


ようやく広い稜線に出た

 立橋山だったのかどうかはもうわからないが、尾根が厳しい岩場によってふさがれていて、どうしても急斜面を巻かなければならないところがあった。ここは滑っても大きな危険はなさそうだった。しかし、急斜面であることに変わりはなく、ほうほうのていで尾根に登り返し、再びアイスバーンに新雪が積もったところを這うように登る。

 牛首に下りてからの登り返しも結構長く、まだかまだかと我慢して歩くうちに尾根に乗った。実際はそこが長沢背稜のカラマツの木に、「矢岳」と書かれた古いプレートが下げられている場所に下りるポイントであったと今は思うのだが、はっきりした踏み跡が稜線を右に伸びているのでそのまま標高を上げていく。しかし、そのうちに1702mあたりで踏み跡が消えかかることになって、そこに赤テープが巻かれていたので下降点と勘違いし、獣道を長沢背稜へと下りるが馬酔木の酷いブッシュに遮られ、2度追い返される。こうなると、稜線を酉谷山方向に進むのが無難と判断し、吹き溜まりの雪に足を取られながら進むと下降するようになったので、小屋はそろそろ近いだろうと判断する。そしてようやく長沢背稜に出合うと、酉谷山方向からの新しい足跡が一つ見られる。


酉谷山避難小屋

 この足跡は、酉谷山から下りてきていったん酉谷山避難小屋に向かい、そして長沢背稜を一杯水避難小屋方向へと向かって行ったものであった。そういうことで、酉谷山避難小屋に先客はなかった。というより、雪が降り続く天候の時に山を歩いている者がいるということのほうが不思議であろうとは思う。雪と汗ですっかり濡れた手袋やシャツ、タオルなどをガスランタンで乾かす。いつものように(寒さに震えながら)酒を飲み、夜食を摂る。湯たんぽのおかげでまだ7時にもならないというのに、快適なシュラフに潜って熟睡してしまった。


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