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新緑の山を歩きヤマシャクヤクを見る
(2015)


本州某地のヤマシャクヤク @を少し上から写す


 2015/ 5/ 3 


@ 足許が危険なためこれ以上回り込んで写すことはできなかった

 この地のヤマシャクヤクは2014年5月にちょうど全山満開のところを見たのだった。今年(2015年)は春の訪れが早かった。今年は昨年に比べ花たちは10日ほど早く動き出しているようである。そういったことから開花して3日ほどしか持たないヤマシャクヤクは花弁を落としているものも多い。よって、昨年出会った時のような大感動とはちょっと違う。それでも「貴婦人」は美しい。そんな貴婦人に逢うために登って来た山は新緑に覆われて清々しい。


太い2本の倒木に守られて

 新鮮な空気が漂う山道を早朝から歩く。しばらくすると大株のヤマシャクヤクが葉を広げたくさんの花を咲かせている。しかし、その場所は傾斜がきついので近づくわけにはいかない。そこを離れ先にしばらく進むと、ヤマシャクヤクが群生している。多くのヤマシャクヤクの花期は過ぎているがそれでもわざわざ待ってくれていて「今日咲きました。」というような花も多い。


たくさんの陽の光を浴びて

 日の射し込みが少ないところにはまだまだ見頃のヤマシャクヤクが多いが、カメラに収めようとすると光が必要だ。さらに標高を上げ森林から出るとぽっかりと広がった空間があり、林縁と広がりの空間にヤマシャクヤクがちょうど見ごろを迎えていた。5月とはいえ朝からの強い日差しを浴びている。


 

 この地にヤマシャクヤクがあることには思いも至らなかった。ただ、この山域にベニバナヤマシャクヤクが群れを成して咲くことは植物関係の文献等で知って、それを探しに行きたいとここ5年ほどあれこれ秘策を練っていたが、未熟な登山技術ゆえにその場所まで行くにはリスクが多過ぎると躊躇しているのだった。また、非常用の連絡手段用としての衛星携帯電話をドコモが販売を開始したこともあって一時は真剣に通い詰めることを考えていた。しかし、あくまでもベニバナヤマシャクヤク探しは趣味の範囲であり、危険は回避しなければならない。


伐採され打ち捨てられた木や枝の中で

 この山に咲くヤマシャクヤクの全体像は掴んでいない。今年はあの稜線に登ってこの尾根を下りながら探し歩こうなどとGPSに植生の存在が予想されるコースを落としてきたが、来る時期が遅れたことによるモチベーションの減衰は、道なき尾根を上り下りする緊張感も失ってしまった。


それでも上品に美しく咲く

 そうだ、とっておきの山へ行って群生地を巡り歩かなければならない。しかし、すぐに次の花探し花巡りのための時間を作るわけにはいかないので気だけが急ぐ。次の群生地に行けるころにはヤマシャクヤクは終わっているだろう。それでも、どこの場所のヤマシャクヤクがどれほどの数の花を咲かせたのかを知ることは必要だ。今年のヤマシャクヤクが来年も元気に咲くという保証はない。ときとして芽を出さないものもままあって再び見ることができなくなることも珍しくない。


だからなおさら美しい

 ヤマシャクヤクを滅ぼすリスクの大部分は、気候変動にあるのではないか。次に鹿の踏み付けであり、鹿の寝床やヌタ場の下敷きになって荒らされて壊滅することも多い。この地のことではないが、大小合わせて50株以上あった植生地をヌタ場に変えてしまい、根絶されてしまった。蹄で下部を蹴散らしてあるくこともよく見かける光景である。
 自分を含む人間の影響も多きい。ヤマシャクヤウを見つけた喜びで興奮して親株に近づくと、その周囲に必ずと言っていいほど子株があることの認識を持っていないと登山靴で踏まれたヤマシャクヤクはとひとたまりもない。


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