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遂にベニバナヤマシャクヤクに出逢う (2015)
 2015/ 5/29
 


今回 2015/5/25 


 プロローグ 

 人との出逢いは一期一会、花との出逢いも一期一会。この言葉は、アツモリソウやベニバナヤマシャクヤクとの出逢いにふさわしい言葉である。今年出逢えたとして、同じ個体に来年もその先の将来にも逢えると言うことを確信を持って言うことはできない。それは花を巡る自然の摂理であろうし、野生動物による採餌であり踏み荒らしであろうし、一番たちの悪い人の盗掘である。数年前、アツモリソウを10株ほど見つけた。翌年行くと1株もなかった。今年ようやく出遭うことができたベニバナヤマシャクヤクがこのまま生き抜いてくれることを願う。


前々回 2015/ 5/15 


前回 2015/ 5/22


 ひっそりとした静かな山の中で  


 5月15日に見つけたシャクヤクの蕾が、実はそれはベニバナヤマシャクヤクのものではないのかという疑問を持ち、翌週(5/22)に確かめに行ったが蕾のふくらみに大きな変化はなく、結論は持ち越しとなった。ベニバナヤマシャクヤクの開花は、ヤマシャクヤクより1か月ほど遅いというものの今年は季節が早いから、その時期は6月第1週と予測した。だから、今日はこの山域に来る予定はなかったのだった。

 ところが、自宅を出発前の未明に急に「ベニバナヤマシャクヤク」がどうなっているのかを、例え蕾のままであっても行って確認するのがベニバナヤマシャクヤクに対する筋・思いの表れではないのかと思い直し、自宅残置用登山計画書を手で直した。今日はもともと6〜7時間の日帰りの山の予定だったのでザックも軽く、ダメージを受けている膝や踝への負担は少ないだろう。それでもテーピング施しスキンズのおNEWのタイツを着用する。

 

 スタート地点を出て新緑の木々に囲まれた風景の中を4時間ほど歩く。もうそろヤマシャクヤクの蕾があった場所だ。まだ固い蕾のままだろうが、来ること自体に意義があるのだなどと考えながら核心の場所に近づくと・・・・・・・・・・・・・・・。胸がドキドキする。目の先に赤いぼんぼりが浮かんでいる。

 

 

 ベニバナヤマシャクヤクは、今にも花開こうとしている。といってもすでに時刻は午前12時を大きく回っている。今日はこれから雨模様で夜半に大雨が通り過ぎて行く予定だ。すると、花弁を開いてくれるのは晴天になる明日になるのだろう。でも、明日は行くことができない。北海道でベニバナヤマシャクヤクの在りかを知ってから12年、近日中にどうにか時間の都合をつけねばならない。ベニバナヤマシャクヤクが待ってくれているから・・・。

 カタクリの群生地で山野草を販売している店があった。ヤマシャクヤクとして売っていたものを買い求めて庭に植えたところ、それはベニバナヤマシャクヤクだった。そのとき、この地におけるヤマシャクヤクの植生の場所の標高を聞いたところ「1,200m」とのことだった。そのようなところに咲くヤマシャクヤクが平地で生き延びれるわけがない。数年で樹勢が衰えてきたので冷涼な北海道の花園(一般家庭)の一角に避難させた。北海道では標高わずか100mに満たないところで(昔は)ベニバナヤマシャクヤクの群落があったということだが、盗掘され尽し今はもう見つけ出すことはできないだろう。これまで探しには行ったのだった。

 

 昔は、アツモリソウもベニバナヤマシャクヤクもふつうの山の花として野山に咲いていたのだろう。今は、ネットに情報が載るとすぐさま盗掘される。そのことを知ってか知らないでか、「○×山でアツモリソウを見つけた」とか「ベニバナヤマシャクヤクが」などと無防備な記事が載ることが稀にある。そして必ずと言ってよいほど翌年にはなくなっている。情報が四通八達する時代の宿命である。それに人間の及ぼす作用は山ではそれほど大きくない。アツモリソウについて言えば今は鹿の採餌による被害の方が甚大である。

 このベニバナヤマシャクヤウを確認した後、あらたな発見はないかと、崖を攀じ登り急斜面を這いつくばるようにして場所を移動した。見つけたのは、ヤマシャクヤク1株だけであった。これまで見たヤマシャクヤク群生の場所のうち、鹿のヌタ場になって全滅したところ、鹿の移動経路になっていて踏み荒らされて植生が半減したところがそれぞれ1か所あった。


 アツモリソウ(ホテイアツモリソウ)もベニバナヤマシャクヤクも、山歩きをする者の垂涎の的であり高貴で稀少な植物の頂点に位置するものであることに違いない。間もなく、北の山でこれらの希少植物が花開く。果たして今年も待っていてくれるのだろうか。


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