エサオマントッタベツ岳~カムイエクウチカウシ山/テント泊縦走
2014/ 7/25~29
(4日目の3~カムイエクウチカウシ山から八ノ沢カールまで)
■ 2014/ 7/28(月)の3 ■

カムイエクウチカウシ山頂上 上半身の汗・・・
1880mのお花畑(仮称)から最後のハイマツ地獄を切り抜けると、そこにポコッとカムイエクウチカウシ山頂上直下のテント場に出る。
頂上はまではあと少し。ここまでの道のりの厳しさを考えると、思わず感傷的にならざるを得ない。そこをぐっとこらえて固い握手と三角点にタッチ。それにしても泣き言も言わずよく頑張った!すごい!

ピラミッド峰と1923峰
山の強弱についての印象は、その者の経験と技量によりも体感が異なる。「我流中高年登山者」である拙者にしてみれば、ジャンダルムが精一杯で、滑落せずに無事通過できれば万々歳、エサオマン~カムエクで沢で流されなければ万々歳と言ったところが限界か。しかし、そうであっても挑戦もせずにはいられない。ここを歩く人の(往時と比べたときの)が、藪の増長を許すことになっている。年間のパーティ数が10程度でとどまっているのは、あまりにももったいない。強固な藪とはいえその藪の中に、しっかりした踏み跡がある。そのころはまだ日高の山は温暖化の影響を受けず、ハイマツの枝の伸長の速度は緩かったのだろう。人が集まるところにだけさらに人が集まり、スポットライトが当たらないところには行く人もまばらという今の風潮も相乗して、ハイマツは踏み跡の上をさらに複雑に覆い尽くそうとしている。

カムエク南西稜
そのような稜線を闊歩しているのは、好奇心旺盛な少数の登山者の他はヒグマである。ヒグマも歩きやすいところを選んで歩いている。踏み跡が見つけやすいところには、ヒグマの新旧の糞がこれでもかというほど落ちている。ここが人によって歩かれることが少なくなったのは、現代社会の日本人の仕事の環境にもあるだろう。悠長に何日も休暇を使ってこの超マイナールートを歩く暇は、現職にはそうそう得られないだろう。これからさらに藪が酷くなって困難度がます日高の稜線。ヒグマの散歩道になり果てている。

カムイエクウチカウシ山頂上の花 ウメバチソウ
それに比べ、200名山の完遂を目指してカムイエクウチカウシ山に登るものは、八ノ沢を往復する。すっかり奥多摩の山と化した登路は、ピンクテープのオンパレードとなっている。今、この八ノ沢ルートで道を失ったというのなら、奥多摩や秩父の山も歩けやしない。ただ、それでも増水という生死を分けるリスクは非常に高い。ヌカビラ岳で、八ノ沢出合で水が引くのを待てず救助を求めるというのは、いい例である。

八ノ沢へのルートとピラミッド峰
今回、当初予定はエサオマントッタベツ岳~カムイエクウチカウシ山~コイカクシュサツナイ岳の縦走であった。ただ、心の中ではちょっとした天候の様子によって、歩き切ることは難しいだろうと思っていた。それは単なる天候の変化だけではなく、実際にこのルートに入ってみてからの心の持ちようにあると思っている。日程もある。無事の下山を待っている人もいる。そうすると無理を延長することは難しい。また、日を改めて登ればいいだけのことである。

トカチフウロ
藪がなければこのルートは(増水だけを除けば)どうっていうことはない。ヒグマも恐れる対象ではない。藪があって体力を想像できないくらい消耗するから厄介なだけである。カムイビランジの存在を除けば取り立てて見るべきお花畑が広がっているわけでもない。

岩稜帯を下山する
何がこの山をこのルートを引き付けるのか。我流中高年登山者にとっては、①ときに停滞を余儀なくされる不確定な日程を強いられるこ②普段歩くことのない沢を登り下りで各1日を要する刺激③必ず克服しなければならない藪④稜線で何日も人と会うことがない静寂性、ということになろうか。何日も人と会わないということは、その間、すべて自分で自分自身を守らなければならないということである。
カムイエクウチカウシ山からの下山は、春別岳から歩いて来た者にとっては非常に辛い。岩稜帯の尾根からは1700mからの登山道斜面にヒグマが1頭確認できる。そのヒグマも夕食を終えたからなのか、姿を消している。1700mから八ノ沢カール間はところどころ低木が繁茂しているところがあるので、ヒグマとの思わぬ出遭いを防ぐため、ホイッスルを吹鳴しながら歩く。疲労感たっぷりながら安堵感に満ち溢れた状態でテントを設営する。源頭の手が切れるような冷たい水をたっぷりと飲む。テントに戻ると瞬時に爆睡する。