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錦秋の北岳 オヤマリンドウ

2006/10/13〜14


 10月13日(土)

 夏の間から温めていた日高の1839峰の計画は,熱帯低気圧が同時に2つ発生し,毎日天気図を眺めてその進路を危惧していたが,出発前日の5日早朝にすべてをキャンセルし,未練を断った。7日からのニュースは,北アルプスや旭岳(2,290m)での相次ぐ遭難が報じられた。10月の台風(熱帯低気圧)の発生件数は7月と同程度ある。台風が温帯低気圧に変わっても西からの寒気が強いと山は荒れ,秋雨前線の南に台風があると上空は晴れていてもやがて暴風雨に遭遇することが多く注意を要するという。

2004年9月20日の旭岳は,うす曇りの天候が小雨から猛吹雪と急変し,頂上の標柱にはエビの尻尾ができていた。同じ年の10月23日,北海道日高の楽古岳(1,472m)の麓は秋晴れの爽やかな天候であったが,登山道半ばで粉雪が舞い始め,頂上では猛吹雪となった。旭岳で秋山の天気の怖さを体験した後の楽古岳は冬山装備で臨んだことから,頂上でもう一人の単独行者としばらくの間,山談義に及んだ。


     広河原からのバスの車窓から 間ノ岳・農鳥岳

今年はそのような北海道の初冬の山を楽しむことはできなくなったが,頂上までの標高差1800mという北岳に登って,その後200mほど下りた北岳山荘にテントを張って晩秋の北岳(3192m)を楽しむこととした。

 台風が通過した後の週末の予想天気図は,高気圧がどっしりと本州中央部を覆っている。1839峰に代わる実質的な今年最後のテント泊山行先を躊躇なく北岳とした。テントを担ぎ,大汗を流し,あえぎながら頂上までの標高差1,700mを登り詰めたあとのビールがたまらない。金曜日早朝の首都高速から中央高速に乗り継いで向かった芦安の第一駐車場は,各地からの車で半分ほど埋まっている。

 鳳凰三山の登山口,夜叉神峠の駐車場はほぼ満杯となっていて,バスはここで数人を拾って広河原へと向かう。途中,樹林の間から白峰三山を見渡すが,あまりの天気のよさに稜線の北岳山荘もくっきり目に飛び込んでくる。慎重な運転のバスの車窓からは,南アルプス林道脇の崖地の草付に鮮やかな色をしたオヤマリンドウが見える。


オヤマリンドウ

 広河原の吊橋から見える北岳バットレストは,真っ青な空に浮かび上がっている。大樺沢で咲き誇っていた花々はその姿を留めておらず,登山道はすっかり秋色に変わっている。

 崩壊地を迂回する足場の悪い登山道で年老いた夫婦が言い争っている。夫は相棒の足が遅いと言い,妻は相棒がうるさいと言っている。「このままで肩ノ小屋まで行けるでしょうか。」と聞くので「私の速度とそんなに変わらないし,まだ時間も早いから,休み過ぎないでゆっくり行けば大丈夫ですよ。」と言うと,「ほら,ゆっくり行けば大丈夫だって。」と屈託がない。

 二俣で昼食を摂っていると夫婦が程なくしてやってきて,「大事をとって御池小屋に泊まって明日頂上を目指します。」とのこと。途中で奥さんの顔色が悪くなったと言う。ご主人は71歳,奥さんは69歳で,話を聞くと日本各地の山を登っている。この奥さんは,10月の台風が来た時に,36人のツアーに参加し西穂高岳に登って来たが,大変な思いをしたという。さすがにガイドは,スニーカーやビニール合羽の人を登らせなかったというが,経済至上主義は困りものである。


北岳バットレスト

 ぽかぽか陽気の二俣も,ガスが山の斜面を這い上がっていくようになっていく。同時に気温も低下するが,小太郎尾根分岐の稜線に着くとガスは千丈岳方面からの風に煽られて稜線を乗っ越すことはなく,遠くは槍ヶ岳まで見渡すことができる。肩ノ小屋を2時に到着できなければ先に進まないという当初の計画どおり,もう北岳山荘まで行くことは無理なので,残念ではあるがここでテントを張ることとする。夏場と違って閑散としたテント場は先行者が一人だけであった。小屋も宿泊者は少ないようで,冬支度に忙しい様子である。

 ご褒美のビールとウィスキーの水割りですっかり酔いが回り,いつものように横になってうたた寝をしてしまった。冷えて太ももの内側の筋肉が攣り始めて目覚めた。土踏まずが攣ることはあるが,太ももが広範囲に攣るのは始めての経験である。濡れた衣類のまま横になっていたから体全体が冷え切っている。冬に酒飲みが雪の中で息を引き取る理由がよく分かる。下着を取り替え,フリースのジャケットを着込み,オーバーパンツを穿きすっかり体温が上がってからトイレに立つと,テント場はガスに覆われているのに,10mほど登った稜線の上空には満天の星が輝いている。


右俣コース


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