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ヌカビラ岳から北戸蔦別岳へ 頂上でテント泊 
(2015/ 6/13)


北戸蔦別岳頂上で

 日高の山に登ろう。だが、核心部の稜線歩きは(泣きたいほど藪が酷く辛いから)もう卒業だ。正直に言うと精神力と体力が足りない。でも日高の山には登りたい。ホームページの出来が悪いエアアジア・ジャパンが2013年にバニラ・エアとして組織を改め、2015年に成田空港の第3ターミナルの今日が開始された。バニラ・エアの成田空港〜新千歳空港間の運賃がわくわくバニラのキャンペーン料金2、490円に誘われて、思い通りの日程の予約が取れた。(わくわくバニラは900円から。)
 いい世の中になったものだ。LCCの安全性などが取りざたされることもあるが、運賃4,980円、空港利用料760円、荷物預託第4,000円、クレジット決済代金1,000円=10,740円というのでは、文句のつけようがなかろう。


 2015年 6月13日 (1日目) 
1日目の行程 : チロロ林道〜北電取水場〜二ノ沢〜ヌカビラ岳〜北戸蔦別岳(泊)


千呂露川

 6月12日、道南・大平山の登山を終え高速道路を一気に走り、登山のベースとなる日高町の道の駅「樹海ロード日高」着く。高速道路・道東道下りSAのガソリンスタンドが最終スタンドであるが、道の駅近くのGSでいいだろうと高を括っていたら閉まっていた。この町にはセイコーマートが道の駅の隣とエネオスのGSの前とに2軒あるが、エネオス前のセイコーマートの方が以前からあった店舗で、品ぞろえ&接客とも優れている。道の駅の駐車場は広く車の出入りのほか大型トラックも多く騒々しい。しかし、一つの山をやってきて長距離を運転しアルコールをちょっと流し込んだ体にはそのようなことには影響を受けず、朝まで熟睡した。
  明日のの天気予報は悪い。しかし、午前3時に起きる予定にしてアラームをセットした。チロロ(千呂露)林道奥の登山口駐車スペースには遅くても5時には着いて歩き始めたい。もし他に登山者がいたら北戸蔦別岳頂上のたった2張分のテントスペースの一つを得ることはできないことも考えられる。アラームで目覚めると雲はかかっているが空模様はまずまず。しかし、身支度を整えているうちに空が暗くなってきて雨粒が落ちてくる。「まいったなぁ、雨かよ〜。」と弱気になって中止するのはいつものことだが、明日の予報はまずまずなので、今回は心に鞭打って車を走らせる。


二ノ沢分岐のオオサクラソウ

 チロロ林道のゲートは6月10日に開放されていたことは下山後日高森林管理署のホームページで知った。このゲートは、通年閉められていて、利用の際事前に森林管理署に申し込んで鍵の借りる必要があったが、2010年に北海道の登山ツアー会社がヌカビラ岳で遭難騒ぎを起こした際、正式に鍵を借りず合鍵で入っていたことを契機としてゲート施錠について問議され、必要のないところは開放されるようになったのだった。今回は、既に登られている人もおり、もう当然に開いているだろうとの認識で確かめもせず北電ゲート(駐車スペース+簡易トイレ)へと向かった。

 チロロ林道のゲートは千栄(ちさか)集落から千呂露川に沿った道を走り、人家がなくなってから森の中を縫うとしばらくして設置されている。ゲート脇には入山ボックスが置かれていて、ここで入山日、名前、行き先、下山予定日などを記入する。この日は埼玉県からの単独者と帯広市の2人がすでに入山している。ということは、北戸蔦別岳頂上のテント場(2張り分)はもうあきらめなければならないのか(泣)。それでも希望は捨てないことにして、北電のゲートへと向かう。車をゲート前の駐車スペースに停め出発する。ここは千呂露川と二岐沢の分岐点であり、ここからこのころにはレインウェアは着なくてもいいかなという空模様になってきた。


二ノ沢

 北電の取水場までに二岐沢から見ることができる山脈は、上部に厚い雲がかかっている。取水場からは林道が終わり、いよいよ山に入ると言った面持ちの雰囲気となる。二ノ沢の分岐(左岸に太い木が2本立っていてテープが数本付近に巻かれていて、右手の斜面を登って=登ると沢は見えなくなる=二ノ沢に再び出る。なお、水量の少ないときは二本の木のあるところから直接二ノ沢の左岸を行くこともできる。沢の水はこれまで登ったときより少なく渡渉をするにも靴の中に水が入って濡らすようなこともなかった。全体を通して通常雪渓がある(ところの正面にある)滝のところまでは、ピンクの非粘着テープに従って行けば大きな間違いはない。ただし、ところどころこれに従わない方がいい場合があるが、それ(テープに従わないで適切なルートを採ること)はこの山域に入る者のセンスと言うことになるのだろう。 

 二ノ沢は通常はこの時期、途中から滝のところまで雪渓で埋められているが、今回はその雪渓が2か所にありピンクのテープに従って最初の雪渓の上で沢を渡った。運よく雪渓が割れることはなかったが、ブリッジは薄かったように感じた。滝のところの雪渓はこれまでのいつもより厚く両岸までびっしりと覆っており、なんら不安を感じることはなかった。  


二ノ沢上流

 その雪渓上部、滝のところで男女2人が留まっている。声を掛けたがこちらを見ようとしないので、そのままやり過ごして滝の手前の左岸(下流から見て右側)の急斜面に付けられている登山道を登る。するとこの男女も続いて登ってきて、トッタの泉で水を汲んでいるときに追い着いてきた。話すと北戸蔦別岳まで登って頂上にテントを張るということだった。ただ、これからの天候のこともあるので、そのようなときのために風を避けられるヌカビラ岳の先の絶好のテントスペースの在りかを話す。
 
 予報ではそれほどの風は予想されていなかったが、どのような風雨でも北戸蔦別岳の頂上でテントを張ることにしていたので、岩石ネット(ストーンペグ、ストーンバッグ)を用意してきた。北戸蔦別岳は西風の影響はある程度低減されるが十勝側からの東風はまともに直撃するし南風にも弱い。その体感は、テントが引きちぎられるのではないかというほどのものになる。  


ヌカビラ岳の橄欖岩に咲くカムイコザクラ

 トッタの泉からも容赦のない急登が続く。玉のような汗を流しながら急斜面の登山道ばかりを見るような感じで登っていると、目の前に声もなく人が立っていて、少し避けてくれていなかったらぶつかるところだった。

 Q 「こんにちは」
 A 「・・・・(無言)」
 Q 「どこまで行かれたのですか。」
 A 「北」
 Q 「埼玉の方?」
 A 「ん」

 「北」ですか。すっかり北アルプスかと思うところだった。埼玉からの男性であったが、この山中でのこのやり取りは異文化の人とのコミュニケーションより難しいものであった。北戸蔦別岳を登ったことが誇らしかったのだろうか、「北」という、かつて一度も聞いたことのない省略形に大いなる違和感を覚えるのであった。 


北戸蔦別岳頂上

 ヌカビラ岳を過ぎるころには雨交じりのガスと風で、疲れと相まって辛い歩きになった。何度かの小ピークを次は北戸蔦別岳と見誤って落胆したが、ヌカビラ岳からは小一時間かかることをすっかり忘れていた。最後の鞍部を過ぎてようやく北戸蔦別岳に登ると、テント場には当然のことながらテントは張られていなかった。2張り分のテンスペースの狭い方は、今年は誰にも使われていないようで、整地もされておらず土砂が流された状態のままだった。

 テントを張り終えると同時に強い雨が降ってきた。そのうち、きちんと口を閉めていない換気口から雨が入ってくる。テントを設営してから1時間後ごろ、追い越した2人が頂上に着くが、「これから風雨が強くなるみたいだから、(ヌカビラ岳)戻ってテントを張る。」と言っていなくなった。

 翌朝、テントの中にはこれまでのテント泊生活では経験のないほどの水が入っていた。雨で濡れた衣服、雨衣、ザックなどすべての水分、身体からの蒸発、調理で出る水分のほか、フライシートがテント本体を叩き付けることによる水分の遷移などがあるのだろう。フライシートとテントのコーナーの防水処理は懇ろに行ってきたが、夜半の雨には勝てなかったようだ。ただし、本人はどのようなクラスの風雨だったかは、熟睡してしまって一切覚えていない。 


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