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雲取山から三条の湯 (2015)
2015/12/ 4〜5


 12月 4日(金) 

 先々週は「矢岳〜(7時間)〜酉谷山避難小屋〜タワ尾根」、先週は「大血川〜(4時間)〜酉谷山避難小屋〜大血川」を歩いて、3週目の週末は「甲武信ヶ岳〜破風山避難小屋〜雁坂峠」を計画していたが、ヤマテンの予報では、霧→雪、−14度、風速30m/sと、中止と決めるのに躊躇はいらなかった。そこで次善の策として、鴨沢から雲取山に登って三条の湯にテントを張り、サオラ尾根を下るルートに変更することとして電車に乗った。

 温かい電車に乗ってうつらうつらしながら青梅駅に着く。中央線の快速電車を下車し、青梅駅08:04発奥多摩駅行きの4両電車に乗り換える。週末にはザックを背追った人たちで混雑するが、この日は金曜日、それほどの人数でもない。それでも電車が奥多摩駅に着いて下りてみるとザックを背負った人がそれなりに降り立った。西東京バスの鴨沢西行きの発車時刻は、電車を降りて4分しか間がないことから、急ぎバスに乗る。バスに乗った主だった人は、帰りのバスも一緒になった単独のお嬢さん、カップルのお二人、年配の単独男性などだった。この人たちとは奥多摩小屋までの間、抜いたり抜かれたりと同じようなペースで登ったのだった。


七ッ石小屋から尾根を越えてブナ坂への道 

 バスが鴨沢に着くと、バス停付近には大勢の人がいた。東京消防庁の山岳救助訓練に参加する約30数人の人たちだった。通勤途中などで消防職員が訓練に励んでいる姿を見る。山で何かあったときにもこの人たちのお世話にならなければならないので、このような訓練参加者を実際に見ると有り難く、雲取山までは一緒に歩くことになるだろうから、訓練の邪魔にならないようにと心がけることにする。

 鴨沢のバス停で身支度を整え、バスでご一緒だった人たちと先行し、消防隊員の人たちは遅れて出発した。途中消防隊員に追い抜かれた。隊員は3個の班に分かれていたようで、2つの班にはあっさり、いとも簡単に追い抜かれた。途中、二つ目の班が隊列を整えているときに追い越した。カップルのお二人も途中で追い越したが、単独のお嬢さんと、単独の年配のおとうさんには、奥多摩小屋でお二人がそれぞれ休憩しているときにどうにか追い付いて到着した。お二人が休憩しているところを横目に、休憩をぐっと我慢し先に進む。


防火帯を雲取山へ向かう

 ヤマテンの、高所での気温が低いとの予報で若干防寒対策を充実させたことや、三条の湯でのテント泊の装備などによってザックは重く、奥多摩小屋では、ここでテントを張ってしまおうかとの誘惑に負けそうだった。また、出発の時間が遅かった(現実的には朝一番のバスには乗れない)こともあり、三条の湯に明るいうちに着くことは困難だという時刻であったが、老体に鞭打ってほうほうの体でもうそろそろ陽が傾きかけ始めようとする時刻に雲取山頂避難小屋に着く。すると小屋から男性が出てきたが、挨拶を交わす雰囲気ではなく、小屋で休憩しようと中に入る。中に男性1人がシュラフに入って横になっていた。「休憩で使わせて下さい。」というと、カメが甲羅の下から首を出すようにして起き上がったが、一言も人としての声を発することはなかった。同じ道を登ってきた単独のお嬢さんはこんな沈んだ空気の中で寝るのだから大変だろうなと余計な心配をする。小屋から出ると、遅れて登ってきた年配の単独者が、ほとほと疲れたという様子で立っていた。


雲取山頂避難小屋から

 小屋を辞して雲取山から三条ダルミへと下りる。北側から強い風が寒気を吹き寄せている。グローブが登りの時の物では手がかじかむという程度を超えそうなので厚手のウールの手袋を重ねる。鴨沢からの登りを一生懸命にやったことから、脚の筋肉は疲労の度を増している。小屋到着は陽が落ちてからのことになるだろうからと一旦ザックを下し、懇ろにストレッチを行い、ヘッドランプを用意する。

 周囲が真っ暗闇となったとき、三条の湯の小屋が見えた。ホッとして小屋を目指す。お願いしてあったお風呂も、煙突から煙が立っている。テン泊の申し込みをすると、今日は30人のツアー登山客が入っているとのことだった。これほどの大人数では風呂がかち合うと大変なことになる。ツアー客の食事の時間を見計らって風呂に入る。3週連続の登山、今日も7時間歩き、強い北風。どれも温泉を欲している。山で温泉は最高のご褒美! 


 12月 5日(土) 


三条の湯のテント場で

 2日目は、自然林の中の快適なプロムナードを歩いて、サオラ峠からの下りをちょっと苦労して歩くだけだと高を括って午前8時発としていた。それでもバスの時間には30分は余裕があると思っていたが、取り敢えず少し早めにテントを撤収して午前7時半に三条の湯を出ることにした。結果的にこれが功を奏して、どうにか一日数便のバスの発車時刻に間に合うのだった。


三条の湯

 三条の湯を出るとすぐ山道に入って、登山道が山腹をトラバースするように取り付けられている。この道筋は自然林が多く、かつ巨樹のオンパレードである。どの季節に歩いても素晴らしい自然風景が楽しめて、タワ尾根に匹敵するところである。そのような快適な風景に反して、足取りは重い。


朝の登山道 三条の湯方向を振り返る

 どうにかサオラ峠に着いたが、強い西風が吹き付けており、ここで立ち止まるのも躊躇させられる。よって、峠はスルーし丹波山村のバス停を目指して一気に急な坂、険しい崖を下りる。この下りの南斜面には夥しい落ち葉が堆積している。隠れた岩屑などで足をとられかねない。向う脛ほどに落ち葉が積もった登山道をすり足で下りていくと、ずど〜んと腰まで吸い込まれる。ごく短い長さの桟橋と岩の間の窪みに落ちてしまった。

 その後すぐ、単独の男性が登ってくる。こちらが上方から落ち葉をガサゴソと音を立てて蹴り散らしながら下りているのに、気付いているふりを見せずに下を向いたまま上がってきて、待っているところをぶつかるようにすれ違っていった。それでも武士の情け、「その先は落ち葉で足元が見えなくなって、強烈にはまるから気を付けて!」と声をかけると、「問題ない。」と言い残し進んで行った。その結果、腰まで落ちてから転倒しつつ仰向けになり哀れな姿をさらしている。雲取山頂避難小屋の2人といい、特に中年以上の年寄りは、なぜこうも人(他人)との常識的なコミュニケーションを取ろうともしないのが多いのだろうか。 


雲取山(中央)

 無事、丹波からのバスに間に合った。鴨沢のバス停にバスが停まると、昨日避難小屋に泊ったお嬢さんが猫と遊んでいて、慌ててバスに乗る。奥多摩駅でこのお嬢さんに避難小屋での寝心地を聞くと、防寒対策をしっかりしていたからゆっくり休むことができたとのことだった。

 中央線から電車を乗り換えようとして、ホームのエスカレータを待つ列に並ぶ。もう少しでステップに足をかけようというとき、ずうっと後ろにいた外国の人が横に来て声をかけてくる。
  「どこの山に行ってきたのですか。」
  「奥多摩ですよ。雲取山に登って三条の湯でテント泊を楽しみました。」
  「天気が良くてよかったですね。」
  「天気に恵まれたし、温泉もよかったですよ。」
  「そうでしょうね。いい山歩きをされましたね。」
  「どうもありがとう。」  
 声をかけてくれた外人さんは、階段を軽やかに下りていく。

 人としての常識的なコミュニケーションを図るための教科がこの国の教育の中にないこともあるだろうが、一応は社会の一員として働いてきたであろう中高年の男性が、かくも頑なで独りよがりだとはどういったことだろう。山に限らず、いろんなところで中高年の域に至った男性のいやな姿を見ることが多い。それに反してザックを背をって帰宅途中の登山者にフランクに声をかけるよその国の人、その違いはなんなのだろうか。


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