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ホワイトアウトな安達太良山へ
2012/ 1/29〜30
くろがね
■ 2月25日(土) 2日目 ■
くろがね小屋の寝具から抜け出し、窓の外を見てみると風はないものの雪が降って視界がありません。明日の天気予報は悪く、今回も安達太良山の頂上はだめか。ともかくいったん源泉に身を沈めて心を整理します。食事が済んで、ストーブの周りでみんなでコーヒーを飲んでいると、スノーボードを持ってきた男性が頂上へ行くと言います。今回はゴーグルも持ってきたし、オーバーパンツはないものの厚手のレインウエアもあるので、自分も行けるところまで行こうと身支度します。
峰ノ辻
小屋の前の尾根までの距離の視界はあります。先行者よりしばらく遅れて出発することとなりました。遠慮なくトレースを拝借します。ところが、スノーシューの軌跡は登山道のある稜線から沢に下りています。雪が深く積もった沢も、数日前に降ったという雨で氷化していて、アイゼンでも踏み抜くことはありません。足跡を追っていくとしばらくして篠竹が刺されているルートに出合ったので、その後はこの篠竹と赤布に従って歩きます。
頂上直下(右側がスパッと切れている)
途中の斜面から先行者が戻ってきます。「この上はクラストが多いので、頂上へ行くことは止めました。ここから沢を滑って行きます。」とのことでした。ゴンドラで薬師岳に上がって頂上へ行ってきたという人も、クラストが多かったと言っていましたが、アイゼンはザックに括りつけたまま、ワカンで登って行きます。峰ノ辻に出ると強い風が吹き付け、その上視界もありませんが、躊躇することはありません。いったん下ってトラバース気味に薬師岳への指導標に出ます。ここは、安達太良山が独立峰ということから風が強いと言われるように、ハードシェルに雪がパチパチと叩き付けられます。頂上直下に立てられた安達太良山の頂上標識から右手の鎖のある岩場のすき間を登って頂上に出ました。完全なホワイトアウトです。頂上の「八紘一○」と彫られた石柱と祠の向きを覚えておき、下る際の手掛かりにします。あまりの強風なので、証拠写真を一枚撮ってすぐさま下りにかかります。(「八紘一○」=「八紘一宇」)
安達太良山頂上
視界はわずかしか利きませんが、薬師岳への指導標まで戻ると、あとは篠竹と赤布を頼りにくろがね小屋に向け下りて行きます。GPSでも頂上までの軌跡を録ってありますが、トラックバック機能を使うまでの状態ではありません。(前回は、冬山のベテランさんに、「吹雪かれたときには目印も見えなくなるから細心の注意をして!」と言われたのが、頂上は目指さなかった理由の一つでした。)
くろがね小屋
薬師岳への分岐を示す指導標からの下りでは、篠竹に着いた小エビの尻尾を落としながら歩きます。まとわりついた氷化した雪で篠竹は折れたり、大きくカーブを描いて雪上に達しているものもあります。斜めになったものはきちっと雪面に刺し直します。こんなことをしながらも、頂上から小屋までの所要時間は、わずか49分間でした。やはり軽いザックの効果は如実です。小屋に戻ると管理人さんが熱いお茶を出してくれました。冷え切った体に最高のご褒美です。まだ時刻は午前10時半なので温泉に入りまったりした後に、持ってきた「反原発の不都合な真実(新潮文庫)」と「新潮45」を読みふけります。「原発問題は思想のリトマス試験紙」とはうまいネーミングです。円安・原油高が嵩じると最後は目先の実利に聡い「反原発」はすぐギブアップすること間違いなしということに落ち着き、布団にもぐって安眠します。気付くともう午後4時になっていて、どんどんと善男善女が到着し、小屋中に和やかな雰囲気が広がっていきます。
満艦飾
管理人さんが話されていましたが、(ふくしまの現状が厳しいときに)「くろがね小屋」に来てくれる人の多くが常連さんだそうです。今晩の小屋は満杯ですが、3割の人が自炊です。日本人も外人さんも多彩なメニューでわいわいやっています。本当にいい雰囲気です。今回は、(自分自身は)シュラフ使用覚悟で小屋に来ましたが、管理人さんの適確な采配により、暖かく静かな環境での宿泊となりました。
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往路 | 復路 | |||||
着 | 地点 | 発 | 着 | 地点 | 発 | |
くろがね小屋 | 0825 | 安達太良山 | 0941 | |||
0900 | 峰の辻 | 0900 | 0950 | 峰の辻 | 1010 | |
0930 | 薬師岳分岐 | 0930 | 1030 | くろがね小屋 | ||
0940 | 安達太良山 | |||||
所要時間 | 0115 | 所要時間 | 0049 |