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テントを担いで・・・!
白馬岳〜不帰キレット〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳〜針ノ木岳
 

(2015/ 7/31〜8/ 5)


鹿島槍ヶ岳


 2015年 8月2日 (3日目の1) 
3日目の行程 : 唐松岳〜五竜山荘〜五竜岳〜キレット小屋(泊)


牛首

 山の経験がないにもかかわらず成り行きで登った14年前の唐松岳〜五竜岳〜爺ヶ岳縦走で覚えているのは、雨の唐松岳、濡れた牛首の怖さ、キレットの窓などしかないが、今でも強烈な思い出として残っているのはこの牛首である。この岩場は、唐松山荘を出てすぐに始まり、岩の痩せ尾根が長々と続くほか、急斜面で転落したら確実に別の世界に行けそうである。小屋からの尾根を進むと先行者がカメラをセットして稜線を塞いでいる。そう思ったら、その氏のいる場所は岩場のドン詰まりで登山道はその手前でガクンと折れ落ちているのだった。「すいませんが、先に進むのですが。」と言ってしまった言葉が空しい。


五竜岳

 あまりヘルメットは被りたくない質だが、さすがにこの場所ではヘルメットを着用しないといけない。ネット上でヘルメットは何の役にも立たない。落石や滑落には無用の長物だというような論調もあるが、カムイエクウチカウシ山から八ノ沢を下りている途中の手掛かりのない2mほどの岩場の下降で起立性貧血のような症状が出たときはヘルメットがあれば倒れても特に受傷の程度は軽減されるのではないかと思ったほど、ヘルメットがあればよかったのにと思ったものだった。(その時はくらくらっときただけだった。)働き盛りで身の丈を過ぎた過重労働・ストレス溜まり放題のときに気を失って倒れ大出血した時のことを考えると、わずかな山岳での事故であっても、頭部は致命傷となることを肝に銘じなければならない。11日間入院して思ったことは、今まで好きなだけ山に登っていい思い出をたくさん持ったので、再び山に戻れなくても悔いはないと言うことだった。


五竜岳

 そんなことを思い出させる日の出前の暗い時間に無事牛首を越え、さらに大黒岳を越えるとハイマの中の縦走路を淡々と進むことだけだった。唐松岳での朝食は、早出のために簡便に済ませたことから、五竜山荘での休憩とエネルギー補給の時間が待ち遠しい。五竜山荘から白岳に登って遠見尾根を下るのか八方尾根まで行くのか、下りで多くの登山者に道をあける。膝に軽い違和感があるので、山好きの女医さんに処方してもらったロキソニンテープを張るのを忘れてもいけない。山を歩くときに踝がぽっくりと腫れることがあったので、女医さんに相談すると「一番いい処方は山にかないこと」だとのこと。そうはいかない。左右の脚の筋肉のバランスが悪いことも一因のようだった。その時は、グレートトラバース2で田中陽希さんが泣いた、日高山脈の沢&藪藪藪の尾根縦走(エサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山)を目前にしていたので、近所のスポーツトレーナーがいる接骨院で「リ・コンデショニング」というスポーツトレーナも兼務する先生の、1回40分のコースを2回受けると、膝も踝も症状はしばらくは出なくなる(ストレッチはこまめに継続する必要がある。)。しかし、施術料のこともあるからいつもというわけにはいかない。
そんなわけで、長い縦走など負荷がかかるときにはロキソニンテープが救ってくれる。

五竜山荘

 五竜山荘に着く。張られたままのテントも多く、ベンチにも大勢の人が残っている。小屋の入り口には「今日は畳一枚に3人」との張り紙が出されている。さぞかし昨晩の小屋は阿鼻叫喚の状態の小屋内居住環境ではなかったのではなかろうか。出発するでもなく談笑したりベンチでカップめんをすすったりしている人の中で、腹ごしらえをしトイレに行こうとすると・・・。


五竜山荘全景

 ヘルメットをくくり付けたザックをベンチ脇に置き、小腹を満たしていると、厚いウール地のズボン、赤い色のチェクの厚手のウール地シャツ、ベストという古典的な服装というか、山岳での公の仕事を想像させるスタイルの年寄りが遠慮なしに挨拶言葉などの前置きなしに何やら話しかけてくる。
 ザックにくくり付けたヘルメットを指し
  「これ何?」
  「ヘルメットですが。」
  「ヘルメットは被って歩かないとだめだ。」
  ロキソニンテープを貼っていると
  「膝が痛いの。そんなんで山を歩くの。」
  「(無回答)」
  トレッキングポールを見て
  「こんなのザックに仕舞いなさい。」
  「(敵意発生)」
 
 清々しい北アルプスの早朝の2時間を歩いてきてこの老臭が漂いそうな老人の一方的な言葉を浴びて、長崎原爆の語り部として活動し修学旅行の中学生に「死に損ないのくそじじい」と大声を上げられて逆上した年寄りを思い出した。山岳救助隊員もどきの服装をして無遠慮で高飛車なものの言いようといい、許しがたい言動であったが、唖然として無反応となってしまった。

 そうか、午前6時30分も過ぎて五竜山荘に未だ屯している人にそれぞれの理由はあろうが、このようにして最後の灯火をどうにか保とうとして赤の他人に余計なことを言わんと欲し待ち構えている年寄りもいるんだなと、初めて知ったのであった。 


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