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秘密の花園? ここは未踏のフクジュソウの楽園
(北海道の福寿草の自生地)
2013/ 4/14〜15



 4月14日 (日・1日目) 

 関東のフクジュソウのメッカ、大ドッケのフクジュソウ群落地は、個人の所有地であり、山林所有者がその群落地の維持についてさしたる意思表示をしていない(と思われる)ことから、商業登山ツアーや大きな組織のハイキングクラブ、それに山のクラブなどがなんの思慮もなく大量の参加者を募って無秩序に集団で入り込むこととなった。その結果、この場所は2013年に入って、たった2週間で一挙に荒廃が進んでしまい、昔日の面影は失われてしまった。



 登山の自由や権利という言葉を振りかざされると、伏してお願いして踏み荒らしを避けてもらうしかないが、結果は惨憺たるありさま。大ドッケのフクジュソウ群落地は「秘密の花園」でもないし、ルートを探しながら辿りついたそこは心休まる場所でもなくなった。ツアーやハイキングクラブの集団の、花を見れればいいだけといった様相の山登りのなれの果てが、今を象徴する植生の瞬時の消滅の実験場、大ドッケである。


 だから、そのような喧噪の場所は離れ、あらたなフクジュソウの群落地を見つけなければ、といった考えでこの地に辿りついたわけではない。とは言っても偶然の結果ということでもない。このような花は、ヤマシャクヤクやアツモリソウなどと同じで、ある一定の法則に従って判断し、確信をもって登ったことは間違いない。ただ本命の花は、6月に咲く「紅」が名前に冠されている希少種であり、その花が咲く場所の雰囲気を見ようとしたのがきっかけである。そのようなことが相まって、この途方もない規模と自然性がまるで太古の昔からそのまま保たれたのであろう、フクジュソウの一大群落地を見つけることになった。この場所は、北海道である。もう少し先になれば、ベニバナヤマシャクヤクが咲くところであり、その状況を知るためにこの地に向かったのであった。


 今、この日本に未踏の群落地などあるはずもない。だからこのフクジュソウの群落地も人の匂いは残されていた。しかし、それは大ドッケのフクジュソウ群落地のように酔狂に花を求めて入り込んだ跡ではない。帰宅後、この場所のフクジュソウ群落地情報をネットで調べたが、そのような情報はあるにはあったが、このような大群落というものではなかった。


 ここはまさしく大ドッケのフクジュソウ群落地に匹敵する、否、規模においては大ドッケのフクジュソウ群落地を遥かに上回る新たな「秘密の花園」、「フクジュソウの群落地」と名付けて遜色のないところである。見える範囲でその規模(広さ)は5〜6,000坪ほどか。なにせ山の斜面を上から下まで覆い尽くしている。植生の密度においては大ドッケには遠く及ばないが、アズマイチゲなど他の野草が共生していることから、これから先どのような花々に覆われるかが非常に楽しみなところである。林床の植生如何によっては「紅」という字を関する植物の存在も期待されないわけではない。(大ドッケにもアズマイチゲなどの植生があるが、そのことに気付く人は少なかろう。)

 この山は、上部から岩屑が流れ落ち岩塊斜面となっていて、上に行くにしたがってその斜度はきつくなる。フクジュソウは傾斜が弱くなった斜面に多く、上部に登るほど密度は薄くなる。しかし、その広がりは、山肌を広範囲に覆っていて、とどまることを知らないと言ってよい。ただ山自体はさほど大きくないのでその人がりには自ずと限度はある。(ひと目で大ドッケの20倍。)


 この山に入った理由はただ一つ、遠くから見て山肌の色合いがその付近の山とちょっと違ったからということだった。山に入って思ったとおり(それがフクジュソウであろうとは考えてはいなかった)すぐフクジュソウの花を見つけた時は驚いた。もうどこの野山も人が入り込んで、その情報が瞬く間に共有される時代に、自然のままの姿の山肌が残されているということに、そしてそこに群落があったということに感謝するばかりである。太古の昔から引き継がれてきた自然のままの岩塊斜面、だからこそそこに(フクジュソウを見るためといったような暇人の)足跡はフクジュソウが一斉に咲き誇り「ほら、見て。」と言っているのに、どこにもない。

※ フクジュソウの画像に山などの背景のあるものは、場所の特定についての配慮から割愛してあります。


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