遥かなりしペテガリ岳 東尾根コース
2003/10/11〜12
東尾根は一生の記念!
■ 2日目 (2003/10/12) ■
国境稜線の朝
第2日目の朝は,夜が空けやらぬ中,凛とした空気を吸い,ハイマツをかき分けながらペテガリの頂へと向かう。ペテガリの肩を右にトラバースして北東の斜面に至り、チングルマの残滓が見られるお花畑を登る。あちこちに大きな掘り返しがあって,熊も急峻な斜面を登ってきて、生きるがための行動をとっていることへの感概を覚える。
お花畑の急斜面は雪が残っており足場は悪い。凍った雪を蹴って,かけらを口にして渇きを補う。お花畑から再びハイマツ帯に入り尾根を登ると,下から見えていたコブの陰にペテガリの頂上が見える。頂上に立つとそこは思ったより広い草付となっている。ペテガリ岳山頂を示す場違いとも思えるカラフルな標識が立っている。
ペテガリ岳Aカール上部
東を見ても西を見ても南を見ても北を見ても,幾重にも幾重にも連綿と山並みが続く。紅葉が終わり枯れ果てた山肌,大きく広がるカール,谷底までガレた斜面,今たった1人ペテガリの頂に立っている自分,遠く1573mのコルに自分を待っている小さなテント,そして戻らなければならない遥か遥か遠い14kmの尾根の連なり。現実に立ちかえると,いつまでもここに留まっているわけにはいかない。もう一度山々を見回し,テントへ戻るため尾根道を下る。
食欲はないものの,何かを嚥下しなければ体が持たない。このときの朝食は,ぱらぱらとなった残りのおにぎり1つにセロリ,スキムミルクにワカメのスープ,これがこの日摂った唯一の食事となった。この日の水の残りは1.5リットル。ペテガリ往復で0.5リットル,朝食で0.5リットル,残りの0.5リットルは早大尾根までの中間で使いきってはいたものの,残雪を溶かすことで得られる安心感を持っていた。しかしながら,結果的には帰路残雪があったのは早大尾根までで,以後ことごとく消え去っているとは、思いもよらなかった。
南日高の山々
09時35分,1573mに張ったテントを撤収する。再びナイフリッジを越えて早大尾根に至る中間の1518mに戻る。1518mの手前から,1417mを下りてくる若者パーティが見えていた。1518mを下ると,暑いからとTシャツだけを着て傷だらけの腕になっている女性を先頭にした若者パーティ5人に出合う。早大尾根分岐には13時50分に着く。
西尾根コース下山口(左下へ) 中央稜線左から右上に登って尾根を中央に下ってペテガリ山荘
このころには喉の渇きもいちじるしく,唾液はまったく出なくなる。残雪のありかを探しながら歩くが,どこにも残っていない。稜線の北側にあれほど残っていた雪がすっかり消えている。頂上への途中にはまだあった雪。稜線の雪は昨日,今日の暖かい陽気ですっかり溶けてしまったようだ。恥ずかしいことながら,頭をよぎるのは,学生たちはテントの中に荷物を残してペテガリに登っていて,中にはきっと水があるはずであるということばかりであった。
間もなく1417mのコブ直下にブルーのテントを見付ける。彼らのテントだ。中には水がおいてあるだろうが,そのことを考えないようにして足早に離れる。誰もがペテガリの東尾根コースでは水が取れないからと工夫して水を担ぎ上げている。たとえお金を置いていっても・・・。このコース上では,お金はなんの役にも立ちはしない。
ルベツネ山南肩(中央の真ん中) オロマップ岳(中央奥) 1839峰(左)
テント場の直前の水溜りがあった。昨日より水が増えているように見え,その水もきれいに見える。ザックを放り投げてコップ持参で水溜りに入る。しかし、水はべとべとになっており,よしんば沸騰させても飲用に耐えるものではなく,現実に引き戻され,からからに乾いた体を引きずって14時45分,1417mのコブに立つ。
ペテガリ岳東尾根コースの全容
1417mのコブからポンヤオロマップ岳までは2時間のコースである。このころになると,30分も歩くと発汗する。体は干からびているはずなのに,頻繁に尿意を催す。熱中症防止と疲労回復のため休憩を頻繁に繰り返す。喉の渇きは相変わらずで,頭もボーっとしてはいる。学生のテントの水をもらうわけにはいかず,思いついたのが非常用に持っていたブドウ糖を舐めることであった。
細かく割って持ってきたブドウ糖を口に入れると,わずかながら唾液が分泌する。からからに乾いた口の中で,小指の先ほどのブトウ糖が溶けるのに30分ほどかかる。わずかな唾液が喉の渇きを癒してくれる。頭もすっきりしてくる。ブドウ糖は,脳の唯一の栄養であり,即効性がある。
ペテガリ岳を振り返る
17時35分にやっとポンヤオロマップ岳に戻る。回りはすっかり暗闇に包まれている。ポンヤオロマップ岳の頂上でテントを張って停滞することも考える。登山口からポンヤオロマップ岳頂上までの登りに要したのが4時間半なら,下りは3時間と勝手な時間設定をする。30分ほど仮眠をした後,18時出発に取り掛かる。ヘッドランプの電池が減ったと見え、リチウム電池を取り替えることとする。すると、新しい電池がするっと手から滑り落ちた。ヘッドランプ自体が一つしかないので、落ちた電池を探し出すことができない。カメラの電池が互換性があるので、今度は慎重に電池を代える。ヘッドランプの明かりを頼りに急な斜面を滑り落ちるように下る。
1417mから1518m 人が見える
もう登りはないと勝手な解釈をしていたが,1058m,1121m,936mと次々にアップダウンがあり,標高はなかなか低くならない。コルに下りては登山道に大の字になり,コブ着いては大の字になって休憩し,また,一歩一歩と進む。熊の掘り返しや糞が見られた場所であっても,腰を下ろして休まないわけにはいかない。ときおり獣の鳴き声が聞こえるが,それは空耳のようで現実感を伴わない。エゾジカの甲高い鳴き声を聞くと我に帰って再び歩みを始める。
ズボンの裾が湿気っぽいので足下を見ると,熊笹が夜露で濡れている。何枚も何枚もの笹の葉を口に当て,わずかな水分をすすって唇の乾きを癒す。936mのころからは,左右の谷底から水の流れの音が聞こえてくる。車に戻れば水が飲めることを希望に,あと500m,400m,300m,200m,100mと高度計を確かめる。
1518mのコブに乗る唯一の入山グループ(1417mからズーム撮影)
沢の水音が近い。あとわずかだとは分かっていても,まだか,まだかと高度計を頻繁に見やる。23時55分,やっと登山口の案内板に突き当たった。真っ先にダッシュボードのミネラルウォーターを手にして飲み干す。さらに沢に出て冷たい水を思う存分飲む。ようやく一息つくことができた。
陽はとうに沈んだ
こうして念願だった日高・ペテガリ岳登山を無事終え,人気のない駐車スペースで,車のシートを倒し,奈落の底に引き込まれるようにして眠りについた。初挑戦の,日高を代表する山の一つペテガリ岳,1,736m。果てしなく長い道のり。山あり谷あり,さらに山あり谷あり,さりとて後退や妥協は決して許されない厳しい道のり。爽やかで清々しいペテガリの頂にありがとうをいう。この困難を心の中にしまって,またペテガリの頂に舞い戻ってみたい。
耐えて戻った深夜の登山口
帯広労山の方へのメール
平成15年10月12日
しお(塩)様,たまたま帯広労山の方のHPにたどり着きました。東尾根ですれ違った者です。
水の配分の不手際から辛い思いで下山しました。お金を置いてでも水をもらいたいなどと考えながら歩き,ブルーのテントを見ることになり,犯罪者にならないためにテントを横目に足早に過ぎ去りました。
下山は23時55分,皆様もお疲れではなかったでしょうか。10月の3連休なのに大変静かな山登りができ,また,皆様のような若い方が元気に登っているのを見て大変感激しました。
帯広労山の方からのメール
平成15年10月30日
私たちも大量に水を持っていたわけではなく、老少年さんと同じ状況が2日目にありました。(しかし水はピーク付近の雪で確保し、事なきを得ましたが)やはり、十月にしては暑すぎましたね、あの日は。私は単独行はあまり行きませんが、行くとやはりかなり寂しいです。(行きたいとは思うことがありますが)折角あったのですから気にせず言ってください。言ってくれるだけでも私は嬉しいです。
よく日高に行くのでまた会えるかも知れませんね。ちなみに、ぺテガリは一番好きな山の一つです。
帯広労山の掲示板から
平成15年12月17日
「老少年」さん、私なんて北海道の山に行きたくても距離がネックとなってなかなか行けないんですよ!
ひとりで歩かれている老少年サンはスゴイ!
車が運転できて、北海道に住んでいて…というだけでも私にはうらやましいです。好きなときに行けるなんて!
老少年さん、確かに若い人たちと比べると時間は足りないかもしれないけど、山で遊べる健康な体がある、というだけでも嬉しいことです。
私の知っている方(女性)に60才過ぎてなお、7000m級の山に登られている方もいらっしゃいます。