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酉谷山避難小屋ノートが没収され廃棄される運命に
2013/ 5/12


1 酉谷山避難小屋
  酉谷山避難小屋は、奥多摩の最深部に位置する酉谷山(標高1718.3m)から酉谷峠に下り、長沢背稜との合流点から小川谷林道への道をわずかに下りたところに位置する。
  建物はログ造りの平屋で、収容人数は板場に5〜6人程度(混雑時はコンクリートの床に3〜4人ほど寝ることができる)である。水場があってトイレも併設されている。
  小屋は、管理者から委託された地元業者が月1回程度掃除等のために巡回しているものと思われる。小屋はおおむねきれいに保たれているが、これは小屋を利用する人たちが小屋内やトイレの掃除をしてから出発するなどしていることにある。(この小屋の業者による清掃は、2014年からは行われていない模様である。2016年1月16日追記

2 小屋の管理
  この小屋は東京都環境局の所管であり、内部部局の自然環境局(03-5388-3507 内線42−681)、下部機関の多摩環境事務所(042-523-3171)、その出先機関の東京奥多摩自然公園管理センター(0428-83-3271)が管理の実施主体であるが、実際の巡回は都レンジャーが行っているものの、その頻度は年2〜3回程度と思われ、労務的な作業は地元の建設業者が請け負っている。なお、東京都奥多摩自然公園管理センターは、奥多摩駅前の奥多摩ビジターセンターに入居している。

3 都レンジャー
  都レンジャーは、「東京の貴重で豊かな自然を守るため、利用マナーの向上や不法行為の防止に取り組む」ことを業務と し、東京都専門委員として公募される。奥多摩地区には12人が配置され、任期は1年、給与は月20日程度の勤務で約33 7,000円となっている。
  具体的な業務は、
   @観光客などへの利用マナーの普及・啓発
   A希少な動植物の密猟や盗掘の監視
   B利用者の安全確保のための遊歩道や案内板などの点検・応急修理
   C動植物の生息、生育状況等自然環境の継続的な観測及び監視
   D国立公園において事業者が実施する環境調査への情報提供
   E多摩地域におけるサポートレンジャーの指導
 とされている。
  なお、平成25年度の都レンジャーの募集がないことから、前年度と同じ者が任期を更新され業務に充実しているものと思 われる。


1 酉谷山避難小屋ノート
  酉谷山避難小屋には、ノートが4冊置かれていて、一番古いノートは10数年前のものである。この古いノートは、小屋利用者が利用の日付、氏名、住所、コースなどを記入する「宿帳」的なものである。他のノートは小屋の利用に際しその印象や山登りの参考事項などを自由に記入する「雑記帳」であり、1冊にはテプラーが表紙に張られていることを見ると、東京奥多摩自然公園管理センターが置いたものと思われる。 ※(このノートは、慌てん坊将軍様が小屋に置かれたものとのことですので、訂正します。)

 その最新の雑記帳は、平成24年7月31日までとされていて、記載か所が僅少となったものの補充がなかったことから、登山者が厚いノートを置いて行ったので、引き続きいろんな書き込みがなされていた。その書き込みで特異なものは道迷いをしてこの小屋を案内されたり辿りついたというものが少なからずあって、避難小屋の存在と小屋に宿泊する登山者がいたことによって難を逃れたというものも多かった。
 
 つい最近では2013年4月、小屋を利用していたところトレラン姿の男性が夕方5時ごろ、道に迷ったと言って小屋に辿りついたが、トレラン姿の軽装で着の身着のままだった、という書き込みが残されていた。つまりこのトレラン者は、この書き込みをした人によって食料等を分け与えられ、下山方法を教えられてあるいは同伴して下山してもらい難を逃れたのだろう。

2 ノート書き込みの事例(遭難)
  次の2点は、道迷いにより小屋に避難した人たちによる典型的な事例の書き込みである。これ以外にも道迷いについて書かれたものは多くあった。


4月23日 ○○&○○(夫婦2名にて)
20日 雲取山避難小屋泊
21日 酉谷山を経由し(ここまで縦走)→三峰口まで下るはずが、迷ってビバーク。
    (山と高原地図 テン線ルート東大演習林?の中にて・・・)
小雨。この時ケータイ充電なくなる・・・。

22日 周辺をうろうろ(ずっと登山道でないところを・・)ガケもあり。
    その内みぞれ交じりの雨が降り出す・・・
    何かの尾根まで出て、何かのルートにぶつかって酉谷山を目指すも小黒からのルートが状態悪すぎ&ルートファインディング困難のため断念、
熊倉山に目的地を変更(15:00ごろ)

    しばらく行くと何故か酉谷山山頂についた(ありえない!)→ここに泊まりました。
23日 これから日原を目指し下山します。今日こそ家へ帰りたい。
   (22、23日と仕事のハズだったが、ケータイ電池なくなり連絡できず欠勤)

    この小屋がなければ死んでました。ほんとにありがとうございました。
    置いてあったおもち、おしょうゆ、使わせてもらいました。
食料がラーメンと卵各1くらいしかなく、
    昨日も全く食べていなかったので、本当に救われました。
    どうしてここに着いたかはかなり謎ですが・・・。
    読図もっとちゃんと練習しよー・・・



熊倉山から下山するつもりが
こちらに迷って、
酉谷山頂で会った方、
こちらにいらした方、
(一人は四季山がく会の方)
命を助けていただきました。
本当に
死ぬところを助けていただいたみなさんと
この山小屋さんに
こころより感謝申し上げます。
ありがとうございます。
08’12.7 ○○○A○○

3 その他の書き込み事例
  ほとんどが小屋に宿泊したことと、コース取り、気象、山登りの感想などを記したものである。そして小屋がきれいに保たれていることへの感謝の気持ちを表したものが圧倒的である。中には、集団でこの小屋を利用した山岳クラブのマナーの悪さや、無名山塾がこの小屋へ20人のツアーを組んで催行の宣伝を行っていることへの懸念などもあったが、そのような記述は極少数である。

4 特異な事例
  この事例が小屋ノートに書かれていたというような記憶はないが、しかしこの事例に類する特異な書き込みはあるにはあった。それは、2011年11月15日に悲惨な夜を過ごしたというyukiさんの「酉谷避難小屋。この日、風の谷のツアーとかち合い大混雑することに。平日の奥多摩奥地だと言うのに騒々しい一夜になってしまった。」「人の多い山を避けて、奥まで来たというのに小屋では満員御礼ときたものだ。

 「結局単独の私、単独のおじい、単独のおじさん、風の谷のツアー8人、カップルの2人と言う人数に。この狭い避難小屋でツアーが来るのは困ったもんだ。正直、荷物を解いてくつろぐ前にそんな状況になっていたらツェルトで外に泊まっていたわ。」というネット上での記録は、最近の避難小屋の使用をめぐるモラルの一つとして憂慮すべきことが頻発していることを示唆している。

 なお、この「風の谷」はガイド山田哲哉氏が主宰している商業登山で、氏は山岳誌に寄稿したり自らの執筆も多いが、それは山への愛情にあふれたものとの印象を持っていたものの、上記酉谷山避難小屋での行状を見ると無名山塾同様、その一団が入ることによって小屋の収容が大幅に超過し、にっちもさっちもいかない状況を惹起させる無責任極まりないものである。なお、氏は毎週金曜日首相官邸を取り巻く騒擾になかに、「風の谷」の黄色い旗を立てて身を置いているとして、反原発運動への参加を呼び掛けている。

 その風の谷は、2011年11月15日に酉谷山避難小屋に大挙詰めかけたその日の山行について、
  雲取山から東京都と埼玉県を分けながら長々と伸びる県境の尾根。その中で長沢背稜と呼ばれる部分の東端をかたどる 酉谷山から三つドッケの山稜。ここは東京都の北端の部分であり、奥多摩の中でも最も静かな不遇の部分です。
 今回、訪れてみて「あぁ、本当に良い所だなぁ」としみじみと思いました。通行止めのせいで全く人の気配のない紅葉に覆われた小川谷沿いの林道。いきなりの登りとなったゴンパ尾根。濃いガスが去来する中、登り着いた県境尾根の上には青空が顔を出した嬉しさは最高でした。
 キラキラと光るブナ、ミズナラの白い幹、葉の散り尽くした雑木林。強い風の後にチラチラと顔を出す鷹ノ巣山から雲取山への尾根。ガラス張りの酉谷山避難小屋は正しく展望の小屋でした。居ながらにして富士山と東京湾の夜景の見えるロケーション。見下ろす錦繍の小川谷。狭いながらも楽しい一夜でした。そして、何もない酉谷山の山頂がありました。完璧な真青な青空と稜線を吹き抜ける季節風の音。晩秋ならではのピーンと透き通った空気の中に三つドッケへの縦走でした。
 両神山から遠く穂高連峰の雪景色まで見えた七跳山。小川谷に突き出した岬のようなハナド岩の大展望。そして360度の展望の中に雲取山荘からスカイツリー、江ノ島まで見えた三つドッケ。そこから日原へと続く横スズ尾根もブナの巨樹の中の道でした。カサコソと落ち葉を蹴散らしての二日間でした

と、その日の風の谷のグループではない他の登山者の思いには頓着なく書いている。これは次の顧客へのセールストークとしても、東日本大震災で通常禁止となっている小川谷林道を堂々と一団を引きて歩いている様子は、山の大将ぶりを発揮しているように見えるが、都レンジャーの業務の第一に掲げられている「マナーの啓発」を図るというレンジャーの格好の仕事の対象であろう。


1 酉谷山避難小屋ノートの亡失
  このように悲喜こもごものことが記録されている酉谷山避難小屋ノートが、前回この小屋に宿泊したときに無くなっていた。  このノートにはネガティブな書き込みもあって、その対象者が破り持ち去ったのではないかと思われるノートの毀損もあったも のの、すべてが無くなっているという事態に、その真意がどこにあるのか図りかねた。代わりに薄っぺらい大学ノート1冊が置 かれ、「酉谷山避難小屋ノート」との表書きがあった。
 
  以前のノートは「雑記帳」と記された公用の消耗品が置かれていたとの認識であるが、「酉谷山避難小屋ノート」というタイト ルは、登山者が付けておいたものであるから、都レンジャーが持ち去ったとは考えにくい。しかし、わざわざノートのすべてを  持ち去る必要性、合理性は一般の登山者にはないはずである。

2 東京都奥多摩自然公園管理センターへの質問
  長沢背稜の土砂崩れの斜面及び小屋から小川谷林道に至る道の入り口に、5月7日付けの注意書きがあったことから、 この日、都レンジャーが巡回した可能性が高いと思い、東京都奥多摩自然公園管理センターに電話で聞いた。
  「酉谷山避難小屋のコートが全部なくなっているが、何か知っていることはあるか。」
  「小屋のノートはすべて回収した。」
  「その目的はなにか。」
  「ノートの記載から、小屋使用実態や登山者の意識を探るためである。」
  「その目的を終えたらノートは戻されるのか。」
  「戻さない。小屋には新しいノートを置いてきた。」
  「ノートには多くの愛情あふれた書き込みがあって、それを読み書きするのも小屋での楽しみの一つであった。」
  「避難小屋は、遭難などの際に使用するためものである。」
  「それは、登山の現状や登山者の意識を無視した役人の硬直的なものの言い方だ。遭難者が宿泊していた人らに助けら れ たという記述も多くあったではないか。東京都奥多摩自然公園管理センターが利用目的を終えたノートはどうするのか。 」
  「廃棄処分する。」
  「それはあまりにも酷い。」
  「公用物品なら廃棄手続が採られるのか。」
  「特に手続しない。」
  「あまりの硬直的な取扱いであり、目的を終えた時は小屋に戻されるよう希望する。その時期が遅くなるならコピーして使  うなどし、ノートは早期に戻してもらいたい。多くの人がそう願うはずだ。」
  「都レンジャーが避難小屋を巡回するのは5か月に1度程度になる。」
  「あなたの一存でこの問題を片付けないで、是非所内でこの申し出の内容を共有していただきたい。」


 行政官は、その行政目的を遂行するために行う事務の内容が、時として相手方に不本意に取られかねないことがあるが、それをとやかく言うことはしない。しかし、この件についてはもっと心ある取り扱いをしてもいいのではないのか。登山者が幾年にもわたって書き続けた膨大な記録を、一行政官の恣意的な取り扱いで無にされたのではたまったものではない。公園法を司るということはこういうことをすることなのか。 
 
 東京都奥多摩自然公園管理センターが持ち去ったうちの1冊は、登山者が置いて言ったもので私物であり、財物である。ノートを小屋に戻さず廃棄するというのなら、公示等の適正手続きを踏んでやっていただきたい。 


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