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鳥屋戸尾根から酉谷山避難小屋へ
2010/12/9〜10
ヤマアジサイ
■ 12月 9日(1日目) ■
長沢背稜を酉谷山避難小屋に向かうために、奥多摩のバリエーションルート、鳥屋戸(とやど)尾根を歩く。東日原まで車で行き、バスで川乗山バス停留所に下りる。バスの車掌さんは、「蕎麦粒山から酉谷山に行くの?」と聞く。ズバリ正解である。
東日原からのバスに、他に乗客はいない。川乗山バス停で下りてゲートからすぐの鳥屋戸尾根に取り付く。この尾根もモノレールが敷設されていて、植林地の中の登山道を塞いでいる。標高740m付近で支尾根と合流するとモノレールは終点となっている。標高を上げると尾根の樹林が自然林に変わる。淡々と標高を上げ、いったん急斜面を経て笙(しょう)ノ岩山を越える。次の塩地ノ頭や松岩ノ頭を確認することなく尾根を進むと川乗山方向に進んでいて、斜面を下りるようになった。
蕎麦粒山への最後のコル
蕎麦粒山がだんだん離れて行くが、蕎麦粒山に至る尾根がどこにも見えない。おかしい、踏み跡も薄くなっている。セオリーに従ってもと来た道を戻るが、蕎麦粒山への取り付きが分からない。そうするうちに松岩ノ頭と思われる尖がりとともに、その尖がりから派生する尾根が確認できた。トラバースしてその尾根に出ると踏み跡があり、それが蕎麦粒山まで続く尾根であった。
そこ松岩ノ頭)から蕎麦粒山まではまだまだ遠かった。雪の積もった尾根を黙々と登り日向沢ノ峰への登山道と合流し、そのまま蕎麦粒山の頂上へと向かう。蕎麦粒山の頂上に三ッドッケ方向からの足跡が2人分あった。ここまで4時間もかかってしまったので、仙元峠へは向かわず巻き道を行く。
標識が(たぶんピッケルにより)あちこちで割られている
一杯水の水場に立ち寄る。長いホースを伝って水が滔々と流れ出ている。一杯水避難小屋で昼食とするが、長居はできない。避難小屋から酉谷山への登山道(長沢背稜)に一人分の足跡がある。歩幅が非常に広い。この歩き方だと、酉谷山避難小屋に泊まるのではないから急いでいるのかなと思っていたら、その足跡は三ッドッケに登って行った。
その先は七跳尾根からの足跡が二つあった。しかし坊主山近くで気が付くと足跡は一つになっていて、ミステリアスである。その足跡から、今夜の酉谷山の別宅(避難小屋)の独り占めの夢は崩れてしまったと判断する。そうこうするうちに酉谷山への分岐標識が見えるが、小屋へ下りる道がしっかりと踏み締められていて、土間に寝るはめになるのだろうかと落胆しつつ小屋の戸を開けると、暗い小屋の中にいたのは、少し前にタワ尾根を登って着いたという男性一人のみであった。
蕎麦粒山頂上から桂谷ノ峰方向を見る
もう午後5時になるという時刻であり外気は2℃しかなかったが、小屋の中は快晴の一日であったこともあり12℃もあって暖かい。山奥深い初冬の酉谷山避難小屋を、無機質なLEDライトだけで過ごすのは寂しいからと、前日OD BOXに立ち寄ってPRIMUSのメタルメッシュホヤを採用したマイクロランタンP−541を購入した。これに点火すると小屋の中に温かい光が広がり癒される。
酉谷山避難小屋からの夜景(朝には海が真っ赤に輝いていた)
いつものように酒を飲んで、新聞を読んで、晩御飯を食べてからシュラフを広げる。小屋の窓からは(方向からして湘南方面だろうか)夜景が見える。シュラフはわざと薄いものを持参した。これに湯たんぽを入れて就寝体制完了。お隣さんは明日矢岳へ行くそうだ。冬の八ヶ岳でテントを張りその際、凍傷で指を落とした経験などを聞く。
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往路 | 復路 | |||||
着 | 発 | 地点 | 着 | 発 | 地点 | |
0815 | 川乗山ゲート | 0750 | 酉谷山避難小屋 | |||
1215 | 1230 | 蕎麦粒山 | 0905 | 0905 | タワ尾根分岐 | |
1250 | 1250 | 仙元峠取付 | 0940 | 0940 | 大京ノクビレ | |
1350 | 1410 | 一杯水避難小屋 | 1005 | 1005 | ウトウノ頭 | |
1500 | 1500 | ハナド岩 | 1050 | 1050 | 篶坂ノ丸 | |
1550 | 1550 | 七跳尾根分岐 | 1135 | 1135 | 一石山 | |
1650 | 酉谷山避難小屋 | 1215 | 1215 | 籠岩 | ||
1250 | 東日原 | |||||
所要時間 | 8時間35分 | 所要時間 | 5時間00分 |