[HOME][2日目]


魔境? 小黒から酉谷山避難小屋へ
2013/11/23〜24


酉谷山避難小屋


 11月23日(土) 1日目  

  前日夕方、急に時間が取れたので酉谷山へ。しかし、土日の日程なので、よほど早い時間に酉谷山避難小屋に着かないと、小屋は板の間はおろか、土間にも寝ることができないのは火を見るより明らかである。この小さな避難小屋に数人でも団体さんが入ってしまうと、、もうアウトである。※そんな小さな小屋に来週末(11/30〜12/1)には、ガイド登山での宿泊が予定されているので、注意! 


東谷(東大演習林ケンカ沢歩道)

 週末の小屋は混むから、早朝に出発してどうにか板の間スペースを確保したいという気持ちはあったが、だらだらしてしまい、結局予定していた時刻には出発できず、登山口の東大演習林(滝谷)に着いたのは、午前10時半ととんでもなく遅い時間となってしまった。もうこのような遅い時間の出発では小屋を当てにするというのは虫がよ過ぎるというものである。だめな場合はツェルトがあるからいいや、と紅葉の終わった東大演習林のケンカ歩道を歩く。


小黒〜熊倉山の分岐へ向かう途中の風景

 東谷林道が途中で工事中のためケンカ歩道に入り、好ましい渓相を眺めながらしばらく歩くと歩道は東谷林道に復する。クイナ沢橋へと進み崩壊斜面(小規模)からすぐさま尾根に取付く。いつもの急斜面をジグを切って淡々と登っていく。左手に大岩を見て陽がまったく射さず気が滅入るような植林地帯に入る。そのまま先に進むといつしか崩壊地点となる。前回、崩壊場所が危険だったので戻ってきたという人たちと会ったが、そのような気持ちにさせるところであるのかもしれない。さらに進むと、石灰岩質の岩石と思われるザレ場が、植林帯の先に見えてくる。このザレ場には進まないで付かず離れず斜面を登ると、休憩にちょうどいい平らなスペースに出る。ここには座るのに適した切り株もあって、いつも往復で腰を下ろすところである。


酉谷山避難小屋

 腰を上げて、先に進む。ほどなくして植林帯を抜けると、ブナほか広葉樹の2次林、3次林の中を登って行く。この広葉樹林帯は熊倉山からの道が合わさる尾根まで続く。途中、熊鈴の音が聞こえたようだったが、尾根の合流地点から小黒に向かう間にも人影はなかった。合流点から徐々に南西方向に進み、小黒への直登の踏み跡をさらに進むこととする。なお、分かりづらいものの途中向きを南に採って小黒の山肌を水平に進み、頂上手前に直登するルートがある。小黒の頂上から大血川峠に下り立ち止まる。小黒の頂上を通らずにトラバースしながら大血川峠に至る場合の斜面の様子を確認するためであった。なかなか厳しそうな斜度ではあるが、古の人々は峠を使っていたということだから、機会があれば入り込んでみたいと思わせるところである。 


ズーム 

 大血川峠から登りとなって先に進むと、同じルートを通って来たという先行者を見る。避難小屋を目指しているのは同じだが、ビバークもありとしているようだった。(後でこの方が埼玉のNさんであることが分かった。)Nさんを「お先に」と追い越して酉谷山の頂上標識が見えると、さらに先行者を見る。頂上で現在位置をメール(この付近で電波の状態がましなところである)し、すぐさま頂上を辞する。空身の人に会うので小屋の様子を聞くと、混んではいないようだと言う。懐かしき小屋に着くと、先着者が3人(単独+2人)しかいなかった。気がかりだった小屋の水は、細いながら順調に流れている。


水場の様子

 この後、宮城県から遠征してきた単独の男性、明日聖尾根を下りると言う女性2人で小屋は満員御礼となった。それからは、小屋をのぞいて諦めてビバーク体勢を採る人ばかりで、恐れていた週末の混雑はどうにか経験することなく済みそうだ。ということで、食事の支度をしながら各々酒がはいり始める。(翌朝、稜線でビバークした人から「小屋をのぞいたら、まだ4時だというのに宴会が始まっていたので小屋に泊まらなかった。」という話がなされた。しかし、それは宴会というものではなく、三々五々小屋に集まったまったく見知らぬ人たちが、同じような時間に酒を飲み始めたというものであった。「酒=宴会」というのはこの晩の状況を描写するときには正しくない。)

 宮城県から来た人と隣り合わせになった。話は東日本大震災に及んだ。彼の目には涙が光っていた。昭和53年の宮城県沖地震を転勤先の勤務地である仙台で体験し、その縁で仙台近郊に宅地を求めたこともあって、複雑な気分になった。夜が明けやらぬ南三陸シーサイドパレスの浜で会ったおじいさんは今ごろどうしているのだろうか。 


[HOME][2日目]