今年もお世話になりました 酉谷山避難小屋(2015)
2015/ 12/26〜27
酉谷山避難小屋
■ 1日目 (12月26日・土) ■
前回行った丹沢(黍殻避難小屋〜蛭ヶ岳〜丹沢山〜塔ノ岳〜大倉尾根)が期待に反してちょっといいところだったので、丹沢三峰から丹沢山に登って、みやま山荘に泊って首都圏の夜景を楽しもうとみやま山荘に電話を掛けた。
「26日の土曜日、1泊お願いしたいのですが。」
「よろしいですよ。」
「ところで、予約状況はどうでしょうか。」
「今のところ布団2枚で3人というところですね。」
「・・・。」
絶句するしかない。
ブナ
ならば、道志から登って静かな山歩きでもしようかと計画を練ったが、お目当ての避難小屋にトイレがないということでテンションが急激に下がってしまい、本当は行きたかった酉谷山避難小屋にしようと前々日に予定を変更した。それでも前々回の酉谷山避難小屋での悲劇がトラウマとして残っていて、心は晴れない。あの青年たち4人は「しめしめ、テントもツェルトも持たずとも満杯の小屋で寝ることができた。」と思っているのかもしれないが、居合わせた他の人も同じだろうが心にしこりが残っている。それは彼らが大人としての言葉をなんら発することなく出立していったからだった。
小川谷を遡るとそこに酉谷山避難小屋が (現在、このルートは通行禁止)
前回のことを何度も思い起こしながらタワ尾根を登る。今日は土曜日なので、またあのような状況が現出するのではないか。今日はツェルトで寝る可能性が十分にあるな。ヤマテンは06:00の最低気温を−10℃と予報している。でも水場が順調で、トイレが使えればそれでいいや。それでも長沢背稜に出ると、前者の足跡を見ている。南斜面に付けられた長沢背稜の登山道には酉谷山方向に向かっている一人分の足跡が見える。しかし、その足跡は霜柱が残る日当りのないところではしっかり残っているが、陽の当たるところでは少しばかり形が崩れている。たぶん、自分より早い時間に歩いているから酉谷山避難小屋はスルーするのだろう。
素敵!
タワ尾根を登って約5時間、酉谷山避難小屋が見えた。一杯水避難小屋方向からの足跡はなく、前者の足跡は酉谷山避難小屋に下りている。小屋の先客は1人か。この時間に1人ということは、今日は不意に到着する人以外はもう来ないだろうと、小屋への坂を下りる。小屋には感じのいい青年が一人いるだけだった。青年と言っても年齢を聞くと社会的には中堅の人だった。彼は雲取山から途次、休憩に立ち寄っただけだった。あれこれと山の話をしているとき青年が聞いてきた。
「酉谷山避難小屋は何度か来ているのですか?」
「そうですね、何回か来ていますね。」
(実際は「何回」という程度を超しているが、そうとは言えなかった。)
「もしかしたら、この小屋のことをホームページに書いている・・・。」
「そうなんです。」
「ツェルトも持たないで満員の小屋に到着した人たちのことやら、水場を壊した人のことなど、興味深く読まさせて
もらいました。」
酉谷山避難小屋
青年は先を急ぐと言って、大きなザックを背負って小屋を出て行った。その大きなザックには、テントが入っているという。訓練のためでもあるが、避難小屋で泊まろうというときの万が一のためもあるという。
青年の後ろ姿を見送ってから、荷物を広げてからコーヒーを淹れる。丸太を組んだ小屋の窓から暖かい日差しが射し込む。温度計は13℃を指している。新聞を丹念に読んで、ビールに手を出し、ハクレイさんの日本酒をいただくに至っては相当にほんわかした気分になっていた。
きれいな小屋内部
もう夕暮れも近いそのころ、小屋の入り口に人影が映り、扉が開いて男性が入ってくる。なんの言葉もない。
「こんにちは!」
と声を掛けても、口元をもぐもぐとさせるだけだった。仕方がない奴だなぁと思いながら酒を続け、夕食を準備する。
雪煙上げる富士山
「仕事してんの?」
「学生です。」
「何勉強してるの?」
「○△○です。」
「そうすると○○大学の学生さん?」
「そうです。」
「もっと元気出しなよ。私が採用の面接担当だったらいくら頭脳がよくても落とすよ。」
彼は決して自分からは何も言葉を発しなかったが、その理由は極端にシャイなだけだということは表情でよく分かった。人柄のおおよそが分かったので安心して寝ることができた。途中で水分補給のために2〜3度目を覚ましたが、すぐにぐっすりと眠れるほど、この日の酉谷山避難小屋の夜は快適だった。