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タワ尾根から酉谷山避難小屋を往復する
2015/ 1/23〜24

酉谷山避難小屋


 1月23日(金)

 山梨県営林道南アルプス線は、山梨県南アルプス市芦安と長野県伊那市を結ぶ林道である。(北沢峠から長野県伊那市間の林道は伊那市営の管理となる。)芦安から夜叉神峠登山口までは、冬季も一般車の乗り入れができるので、これまで何度も鳳凰山・南御室小屋で真冬のテント泊を楽しむためにこの林道を利用してきた。
 しかし、この林道は少し雪が降ると通行止めになるが2015年は、1月15日からの通行止めが依然として解除となっていない。(林道の状況)そんなわけで、計画していた南御室小屋でのテント泊の計画を中止とした。ポッカリ空いた日程の代替を探すことに頭を働かすこともなく、行く先を酉谷山避難小屋とした。奥多摩も前日に少し降雪があったが、その前の少し多めに降った雪にトレースがあるのを利用させてもらうこととして東日原の駐車場(1日500円)に車を停めさせてもらう。


金袋山のミズナラの巨樹がある近くの風景

 東日原バス停から乗車した車内には鷹巣山へ登るという青年が3人いて、中日原バス停で降りる。終点の日原鍾乳洞バス停にあった茶店が今まさに取り壊されていた。よくも今日までこの茶店が(営業的に)持っていたものだ。と言っても数年前には営業を止めていた。その先、一石神社まで歩き、日原鍾乳洞の食堂脇に最近出来たトイレを拝借して準備を整える。このトイレには当然のことながらウォシュレットは付いてはいないが、便座暖房が備えられていてうれしい限りである。山の中の公衆トイレに便座暖房が付いていることだけでも素晴らしいことなのに、秩父側から大血川を辿って酉谷山に登るときの登山口に当たる大血川渓流釣り場前にある公衆トイレは、便座暖房ばかりかトイレ自体に暖房が付けられていて、人の訪れることの少ない真冬に(夏は釣り人だけ?)申し訳ないなぁとも思うほどである。


 篶坂ノ丸
[篶坂ノ丸]の「篶」という字の訓読みは「すず」で、竹の名前。篠竹(すずだけ)の意味。すずは「篠」とも書く。(新潮日本語漢字辞典)

 一石神社で神様にご挨拶をして社務所脇からカチカチに凍った急斜面を汗をかきながら登り、南西に延びる尾根上のベンチに出る。ベンチから尾根を上がっていくと石段があり、木の部分が切り取られた道標の手前で石段と別れ、左手に折れて植林帯に入っていく。(ここはよく道間違いを犯すところで、いつまでも階段を歩いて登ってはならない。)植林帯に入るとジグを切って滑りやすい道を登る。途中で広葉樹に樹相が変わるのでさらに登ると尾根に出て、右を向けばトラロープが張ってあって侵入を妨げている。


ウトウの頭

 一石山を通り過ぎると積雪があり、標高を上げるほどにしっかりと雪が積もっている。金袋山や篶坂ノ丸あたりからは踏み跡がなければ足が疲れるだろうと思われるが、前の週に登られたものと思われる踏み跡が複数あって、それがウトウの頭を過ぎ、その先の急斜面を下り鞍部の倒木帯?まで頑張っている。ところが倒木の手前で岩の上に乗った2人分の足跡は、そこで踵を返している。酉谷山避難小屋まで行きたかったが、ここで時間切れということだろう。(でも、下りるのも結構時間はかかる。)


ウトウの頭から下りた倒木帯

 この倒木からは、一人分の足跡が先に進んでいる。その足跡を借りて先へと進む。この人の足跡は、障害物を避け左右どちらかを選ぶときには右側を通るようである。そんなことが、その先の長沢背稜までのところどころで傾向として見ることができる。それにしても新雪を一人踏み締めて歩くのは簡単ではなかっただろうに。お疲れ様!


馬酔木のトンネル付近から酉谷山と酉谷山避難小屋

 大京ノクビレからあれこれ迷路を登り作業用モノレールに出て長沢背稜を目指す。背稜に合流して一休みするが、凸凹、アップダウンを淡々とこなしてきたことから、特別な疲れや筋肉等の違和感はない。ただ、長沢背稜にはたっぷり雪が付いているからこれから先、酉谷山避難小屋までは気を抜くことができない。夏道ならタワ尾根〜酉谷山避難小屋まで4時間余で登ることができたこともあったが、今日はここまでで4時間30分を要している。ここから先、酉谷山避難小屋まではいつもは1時間強の所要時間だが、今回は?


タワ尾根+長沢背稜の合流点

 長沢背稜に出てみると、雲取山方向からの足跡が一人分、雪に隠れていた。タワ尾根からの一人分の足跡と重なってともに酉谷山避難小屋方向に向かっているので、大助かりである。


長沢背稜から

 金袋山の次は篶坂ノ丸、すぐ着くと思っていたらなかなか見えてこない。このころから体は辛さを訴えていたのだった。前回は4時間30分で酉谷山避難小屋に着いたのに、今日は何時になることやらと先が思いやられる。結果的には前回より50分増しの5時間20分もかかってしまった。(というか50分だけで済んだのは幸いとでも言おうか。)タワ尾根のモノレールが敷設されたあたりから長沢背稜には雪が残っていたが、先行者の足跡は1人分だけだった。この日の長沢背稜には冷たい風が強く吹き付けていた。天気はいいし見通しも利くというのに、いつも携帯の電波が拾えるところ(3か所)ではまったくアンテナが立たず、下界とのコミュケーションはとることができなかった。


長沢背稜から石尾根方向を見る

 長沢背稜から小屋へと下りる。関心事は水場である。今回は、水は1.8リットルしか持ってこなかった。肝心の水場は水が流れていた。流れは細いものの全く支障はない。ただ、今回も水場は触られていた。石組みが替えられていて、この水場の特性を十分に活かされないようになっている。これほど水場がいじられると面倒くさい。今日の自分の分の水が採れればそれでいいやということも考えたが、このままだと夜になって冷え込んだときと朝の水が採れなくときが出てくる。渇水期に表土が凍ると水の流れが極端に細くなり、残りのわずかな流れを集めてようやく水が得られるようにしておかないとこれから先は流れがなくなってしまう。


酉谷山手前 長沢背稜で

 石組みを新たにし直すのに2時間弱もかかってしまった。外気温は−2℃ほどで、凍傷になるほどの手の冷えにどうにか耐えた。訳の分からない者が訳の分からないことをするものだからこんなことになるが、このぐらいのことの社会的害悪度は知れたものだ。酉谷山避難小屋の水場は当てにならない時もあるとの前提に立って、必要量の水を担ぎ上げればいいだけのことだ。


酉谷山避難小屋

 小屋に着いたらまず一杯やって、米を炊いて、のんびりとという目論みは外れた。もう陽も暮れて真っ暗になってしまった。身体はすっかり冷え切ってしまった。食事を終えてシュラフに潜り込むとしだいに体に温かさが戻り、いつしか眠りに就く。


相模原方面の夜景と小屋から漏れる灯り

 Zzz・・・ 


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