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リンドウが咲く錦秋の早月尾根 我慢の剣岳

2005/10/8〜9


 10月9日 (2日目) ■


 
フデリンドウ 早月小屋から2614mへの尾根で

 
剣岳の頂上に登り,それからテントを撤収して長大な尾根を下るには,朝3時に起きようといったんは目を覚ます。霧が濃い。テントのフライシートの内側が結露し水分がびっしりと付いている。しかし,今日は明るいうちに下山できればいいと,またひと寝入りする。

 山小屋の宿泊者が早いうちに下山し,幕営していた人も頂上に向かったり下山したりとすっかり静かになったテント場でのんびりと朝食を摂る。向かいの山々から,剱岳に派生する峻険な尾根が姿を現してくる。登山モードにスイッチし出発しなければならない。


尾根を振り返る 2614m付近?

 幕営装備のザックとは違って,飲料水やレインウェアーなどを詰めただけのサブザックを背負っての尾根道を登る足取りは軽い。尾根から見下ろす早月小屋は,まるで絵本の中にでも出てくるような,秋色に染まった風景の中にたたずんでいる。このような風景が自分の視界にあるのだと思うと,小屋のご主人の人情ともあいまって,登山道ですれ違う人が小屋を目的地にしていたことや小屋閉鎖の前夜に多くの人が集う理由もうなずける。そういえば,それぞれのテントも秋色に溶けこんで一つの風景になっている。

足を進めると狭い稜線,急峻な岩場の連続となって気を抜く暇はない。いったん足を踏み外すと間違いなく滑落する場所ばかりである。頂上の一つ手前は,すっぱり奈落へと切れ落ちた岩場で,足場は登山靴の幅一つ,その幅すらない次の一歩の足場にと長いボルトが岩場に挿し込まれている。その通過を可能にするのは手にする一本の鎖であるとともに,落ちてはならないという精神力だ。


立山川方面の谷

 人間,どのようなミスも完全には不可避である。オーバーに言えば,ここほどきちんと生死を分けた危険が明確に示されているところもない。

陸軍省陸地測量部による剱岳測量の苦労と平安の昔に時代を遡る錫杖の頭の発見の物語を新田次郎の「剱岳・点の記」で読んだときは,自分が頂上に立つことができる山ではないと思っていた。それほど,剱岳におそれをもっていた。

登山口の石に刻まれた「剱岳の諭」の中に
 一 剱岳は岩と雪の殿堂である 人身とも鍛錬された人々よ来れ
 一 掟は厳しい 力と勇気をもって苦難に挑め
と書かれている。
 登山口は然り,頂上までの岩場にも遭難碑がはめ込まれている。今年もこの尾根で死亡事故が起きている。自分だけは遭難者とはならないと誰が言えるだろうか。そのようなおそれも,今は考えている余裕はない。特にこのガスで濡れた岩場の通過は,慎重の上にも慎重とならざるを得ない。ガスではっきりとは見えないが,別山尾根の分岐と頂上方向を知らせる標識がある。頂上は近い。


前剣からのルートとの合流点

分岐からは岩場にペンキで進路が示されている。黄色いペンキに導かれて,ようやく剱の頂上に立つ。立山方面からの強い風が吹き付けている。ときおり空が明るくなるが,展望は得られない。しばしの間,頂上へ立った余韻を楽しみ,下山を開始する。それにしても,平安の昔の人はどのようにしてこの難所を切り抜けたのだろうかなどと思いながら,再び鎖場を通過する。

2614mの尾根で休んでいると,あとから下山してきた軽装の男性がやって来て,昨年はテントを担いで登って辛い目にあったが,そのとき,日帰り登山をしている人に触発され,今日は朝5時に馬場島を出発して日帰り登山をしているという。


ナナカマド

しばらく尾根を下ると,下から女性が単独で登ってくる。小さいザックを背負い,下はジャージのズボン,片手に折れ枝を持っていて,どこか裏山に気軽に登って行くような感じである。この人も往復4400mの標高差を日帰りだ。


剣岳頂上

 これまで,登山中に足が棒になったことはない。しかし今回,途中からもう大腿四頭筋が言うことを聞いてくれない。やはり2か月のブランクは大きかった。これが岩場だったら,左右に切れ落ちた稜線だったら危険が増す。途中,単独の女性がひらひらと追い越していって,あっという間にその姿は見えなくなった。


早月小屋

 どうにかこうにか馬場島に下り立った。また明日から面倒な仕事が待っている。一般道をまた500km走って岡山まで戻ることにしよう。


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