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オロセ尾根〜タワ尾根〜酉谷山避難小屋(往復)
2017/ 1/18〜19


[1日目]
2017/ 1/18(水)
東日原〜オロセ尾根〜タワ尾根〜酉谷山避難小屋(泊)


オロセ尾根取り付き(孫惣谷林道)

2018年の初登りは酉谷山避難小屋がいいと考えていた。しかし、腰に痛みが出て、いつものストレッチでは対処できない日々が2週間ほど続いた。予報では酉谷山避難小屋近辺の朝の気温はマイナス10℃となっており、これでは水を背負ってオロセ尾根を登るのは辛すぎるなとは思ったものの、一応買い出しに出た。買い物を終えて自宅に戻る途中、だんだんやる気が失せてきて明日は止めようと決めた。家に着くと暖房が効いていて暖かい。「ダメだ!」「やはり寒気に当たらなくては!」と身支度をする。


オロセ尾根の一コマ

今、酉谷山避難小屋をめざして行く者の最大の関心事は「水」なのであろう。近くの雲取山荘は現在、水不足のため1月〜3月の間の宿泊は「素泊まりで水を持参の者のみ」の受付となっている。(2018/1/11現在)
要は昨年末からこの界隈の湧水は枯渇してしまっているということであり、酉谷山避難小屋の水場も完全に枯れてしまって水が出ないということが昨年末以来続いている。
そのため、液体は
水  :3.8リットル
ポカリ:0.5リットル
ビール:0.3リットル
日本酒:0.37リットル
の合計:約5リットル
を持つ。


タワ尾根が見えてきた(オロセ尾根)

これら液体は完全に自己消費分であり、腰痛の身では他人様にお分けするような余分な水を持って上がる余裕もないし、また、最近はそのようなことはすべきではないという考えである。水も持たずに遊びのために小屋に来て、水が出てなくて困ったというのなら旧酉谷山小屋まで下りればいいだけの話であり、それが嫌なら水を飲まなければいいだけのことである。山に登る体力があるのに水を持たないというのは、健康と能力がそこそこありながら公に扶助を求めて食い扶持をもらうようなものだ。ただし、道迷いなどの不慮の事態の人に対する思いやりは、変わらず必要なんだろう。


大樹

日原林道は午前10時だというのに、水だまりには厚い氷が張っている。しかし、急傾斜のオロセ尾根ではすぐに汗をかくだろうからと、ロングスリーブのTシャツの上にノースリーブの薄っぺらいモンベル・フードベストを重ねただけで出発する。足腰を心配してゆっくりゆっくり登り、1回だけザックを下したもののあとはほとんど休みを取ることなく篶坂ノ丸まで一気に登り詰める。


ウトウノ頭(タワ尾根)

篶坂ノ丸に到着すればもう半分以上来たと同じなので、倒木に腰を下ろし長めの休憩を取る。とは言っても天祖山方向から轟々と風が不帰寄せてきて寒い中、昼食代わりのパンをかじりコーヒーを一杯飲んで一息つく。
今回はどこにも雪は残っていない。8日前後の雨が山の上でも雪にはならず、雨が雪を溶かしたものだと思われる。長沢背稜の南斜面には水が出てそれが凍ってできた大きな氷塊が所々にある。もしかして酉谷山避難小屋の水場にも水が1滴でも流れているのではないかとの淡い期待を持ったのは間違いだったけれど・・・。


大京谷ノ頭 (タワ尾根)

篶坂ノ丸での休憩が功を奏したのか足取りが軽くなった。ウトウノ頭で落っこちていたウトウの彫刻版を木に載せた後は、本当にノンストップで酉谷山への標識付近まで飛ばした。それは、少しでも歩みを遅くすると強い風で体が冷えるからであり、加えてその歩みが許されるほど体調が回復してきたからであった。
ところが秩父方向が見える稜線で、メールを打つためにちょっと立ち止まったら一気に体が冷えてしまい、その後の歩きに膝が文句を言い始めた。


酉谷山避難小屋

一応ヘッドランプはいつでも取り出せるようにはしていたが、陽がまだあるうちに酉谷山避難小屋に着くことができた。小屋の中はピッカピカ、同宿者無しであった。さっそくいつでも寝ることができる準備をして米を浸し、酒を飲み始める。


2018/01/10の水場

気になる水場の水は当然のことながら流れておらず、石組みも外されていた。その一つの石は、ポタリポタリとしか流れ出ないときに大きな役割をするものであるが、もう直さないと決めた。春夏秋冬、自分が必要な分の水は自分で担いでくればいいことだけのことだ。
この水場を直したいという人にポイントを教えよう。「根本的に直すのなら相当の土木工事が必要だということ。」「小手先な手立てでは渇水期の役には立たないこと」を。


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