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アツモリソウの涙

レブンアツモリソウ (2011)

 「アツモリソウの涙」とタイトルを付けたが、このタイトルは礼文島在住の写真家である杣田美野里さんの著書「礼文花物語 あつもり草の涙」を流用したものではない。本文を書こうと思ってこのタイトルを考えたものの、そういえば持っている本にこんなタイトルのものがあったと思い出して確かめたのだった。


 ことの始まりは、ネットでの調べ物からのことだった。「山小屋だより」というブログを見ると、日本のアツモリソウとして、そのブログの管理人が2010年に撮影したというアツモリソウの画像が載っていた。ところがこの画像は、このホームページに掲載の2009年撮影のアツモリソウの画像とまったく同一ものであった。

 もう日本の山から盗掘され尽くして、自然の状態で見ることはなかなか困難だという絶滅危惧種のアツモリソウは、開花した姿そのものも極めて特異な形をした花である。写真でその花のあまりにもの美しさに触れ、この花を探そうとFURENと出かけた第一日目に、幸運にも4株もの開花株をを見ることができてから2012年までの4年間多くの山を歩きました。しかし、アツモリソウの花期は全国ほぼ同じで、開花期間も1週間程度と短いことから、多くの山を歩いたと言ってもその数は知れている。そして、そんな短い期間にアツモリそうに出合うことができるのは、神の采配がなければ不可能と思えるほどの偶然が支配しているようだ。

 そんな思い入れがあるアツモリソウだが、このホームページ上で公開している画像は、全体のほんのわずかだ。それは、植生で場所が分かってしまうかもしれない、写り込んでいる風景で分かってしまうかもしれないという盗掘に対する恐れからである。そんなわけで画像の公開に当たっては細心の注意を払っている。でも美しいものは美しい。自分が見つけたアツモリソウが、これから先も残っていてほしいと思うと同時に、それぞれのアツモリソウを画像に収めた時の感激は、画像の一枚一枚にも収められている。

 このホームページでは、著作権だとかということにことさら頓着していない。ただ、苦労して撮った画像に対する思い入れが強いので、流用するのなら一言言って了解を得ていただきたいというだけだ。人が苦労して探し当てたアツモリソウをいかにも自分のもののようにしてブログ等に盗用されると、この人はどういう神経をしているのだろうか。ほかのことでも同じようなこと平気でやっているのだろうと思わざるを得ない。

次の画像は「山小屋だより」の画面のハードコピー


「山小屋だより」に掲載のもの

 次の画像は「やま旅・はな旅 北海道」の画面のハードコピー


「やま旅・はな旅」に掲載の画像


 この「やま旅・はな旅」に掲載したアツモリソウの画像は、満を持して初めて探し当てた一株目の自生のアツモリソウのもので、これに対する思い入れは非常に強いものがある。それがあたかも自分が写したアツモリソウだと言って画像を使い、指摘に対しても知らぬ顔の半兵衛を決め込み、挙句に素性を明らかにしてから問えとは恐れ入るばかりだ。

 このアツモリソウの画像は紆余曲折の末、今は削除されている。これまで多くの自生のアツモリソウ、ホテイアツモリソウを見つけた。思い入れの強い花だけに、その気高い花たちが汚されたようで、つい「アツモリソウの涙」とのタイトルになってしまったのだった。昔は花を用いるために事情があって拝借するのは許される、花泥棒は盗人とされなかったようなこともあったようだ。しかし、外見的には分別のある人が、他人が苦労して撮影したきれいな花の画像を無断借用するのは、そしてそれに呵責を感じないのは盗人と言われても抗弁のしようがないだろう。早朝の稜線の吹き曝の雨の中を歩いているとき、前夜から雨に打たれながらシャッターチャンスを待っていた数人のカメラを持った人たちに出逢った。暁闇を待って一瞬の風景を切り取るという忍耐のいることをやっていた。人の画像を借用して「知らぬ顔の半兵衛さん」とは比較するのも失礼なほど気高い雰囲気を感じる人たちだった。