[HOME] [北海道の山] [日高山脈] [2日目] [3日目のPART1][4日目]


カールはヒグマの宝庫!
エサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山縦走
(3日目 パート2)

2007/7/17〜21


 3日目 7月20日 (晴れ) PART2 

 日高の山に憧れて、いつかは登ることができるようになるだろうなと思っていたカムイエクウチカウシ山が、今、自分の前にどんどん近付いてくる。エサオマントッタベツ岳を出発して2日目の午後、間もなくカムエクに登ることができる。これまで写真でしか見たことのないカムエクの頂上からの俯瞰、いかばかりのものだろう。それでも1903mからはまだ先が長い。分岐で荷物を置いて休憩し、カムエクの頂上を見やると、この縦走中初めて見る人の姿が2つ見える。好天下にある週末、本州の山なら誰も放ってはおかないだろう金曜日の今日のカムイエクウチカウシ山は、さぞかし多くの登山者を迎えているだろうと思っていたが、実際は、そうではなかった。

 北海道の写真家梅沢俊先生は、その著書「山歩き 花めぐり 北海道」において、「大学1年生のとき、エサオマントッタベツ岳北カールからカムイエクウチカウシ山を日帰りで往復した」と書いている。そして「今なら」と言って、56歳当時のそのとき「今なら1日で片道がいいところだ」とも言っている。


ヒダカミヤマノエンドウ?(またはヒダカゲンゲ)

 今、1903mの分岐で休憩している自分は、今「56歳」である。北東カールからカムイエクウチカウシ山の手前までたっぷり2日がかかっている。一人歩きの北海道山紀行のsakagさんの軌跡を見ると札内JPからナメワッカ分岐の所要時間は2時間45分である。それに比べ、今の自分は同じ区間を5時間40分も要している。結構しっかり歩いているつもりだが、ハイマツが繁茂する登山道、切れ落ちた狭い稜線の登山道を慎重に通過するには、経験、今の実力からしてこのぐらいが精一杯である。

 1903m分岐への道はカムイエクウチカウシ山側に付いている。そして、その登山道脇には、ヒダカミヤマノエンドウ?が列をなして咲き誇っている。すでに花の時期は過ぎているが、その紫色の花は登山道で異彩を放ち美しい。

 

 1903mは、1903m分岐からさほどの距離には見えないが、それはあくまで山の上での視覚上のことであって、明るいうちに余裕をもって八ノ沢カールに到達する必要から、カムイエクウチカウシ山との鞍部に向けて下る。鞍部への道は八ノ沢に続く源頭に落ちる斜面をトラバースするように付いているが、そこは大きなお花畑になっているとともに、ヒグマの食事の場となっていて、掘り返しの状態は、畑を機械で掘り起こしたようなところもところどころにある。ここは斜度のある稜線直下の草場と違うことから、見通しの悪いときや朝夕は、ヒグマの確認にさらに慎重な対応を要するところだ。

 鞍部へは、主に低木と草付きの境目に沿った踏み跡をたどることとなるが、チシマノキンバイソウ(またはヒダカキンバイソウ)やチシマフウロが斜面を被い、登山道を飾っている。札内JPからここまでの十勝側の斜面では、何度もこのような光景に出会ったが、その中でも比類を見ない大規模な広がりであった。

 エサオマントッタベツ川を遡行するときヨツバシオガマが、稜線ではタカネシオガマが数か所で見られた。あこがれのカムイエクウチカウシ山を背に今が盛りとタカネシオガマが咲いている。近くにはピラミッド峰が、遠くにはヤオロマップ岳や1839峰が見えて、まさに絶景の中にいる。

 少し先に進むとこの縦走中2度目のシラネアオイが迎えてくれる。林床下でもなし、太陽が照る付けるであろう登山道の脇に、陽を遮るものもないのにしっかりとした大株がまとまっていて、今この時期に咲いたばかりという高貴な佇まいを見せている。ここまで、タカネビランジにはお目にかかることはかなわず、寂しく残念な思いで一杯であるが、それでも、これだけの花々、これほどのお花畑を見るに付け、晴天の日高山脈の真っ只中に入っている幸せを感じるのである。

 1903m分岐とカムイエクウチカウシ山の間の鞍部の、周囲がヒグマによって掘り返えされている1張り分のテント場を過ぎ、カムイエクウチカクシ山への登りになると、お花畑もなくなって、ハイマツなどが被っている岩稜帯となる。いったん八ノ沢カールを見通す平坦部に出て、頂上直下からピラミッド峰に向かう稜線に出る明瞭な登山道を見るが、カールにも登山道にもさっぱり人影は見当たらない。人のいないカールは日が傾いて、山の影ができていて、心細くならないでもない。

 頂上直下のテン場脇を通り頂上に出てみると、そこは日高の山並みを文字通り360度見渡すことができる展望台であり、これでもかというほどの視界を保っている。西に傾いた太陽は容赦なく照り付けるが、日高側から風が吹き付けるようになってきた。これからピラミッド峰との鞍部までいったん下りるが、その稜線は細く、今日の最後の尾根歩きを慎重に行わねばならない。

 今、ツアー登山の普及もあってこのカムイエクウチカウシ山に登る人も多かろうと思う。その証拠に、頂上を境にエサオマントッタベツ岳方面の道はすぐ廃道と化した状態となって、今年になって歩かれたと思われる靴跡も少ない。それに比べ、ピラミッド峰への道は、本州の山に付けられた登山道のようにしっかり踏み固められて、岩場を覆っている土は剥げ落ち、この道を通る人の多さが感じられる。しかし、この尾根道は結構厳しい。まだ八ノ沢の状況は知らないが、ここを見る限りでもしっかりしたプロのガイドに従って登ることも必要な山であると思うのである。

 カムイエクウチカウシ山までの2日間の軌跡を振り返ると、易しそうだった1903m分岐からの下りであっても結構な傾斜があって楽ではなかった。1917mピーク手前の登りの岩は急な登りを強いられた。ナメワッカ分岐に至る登りの胸元以上もあるハイマツには苦しめられた。1760mまでも酷かった。それらが思い出される山並みは、たぶん、もう2度と訪れる機会のない山々であろう。今、自分はその山並みの中にいるのに、なぜか懐かしさを感じる不思議な気になっている。

 ピラミッド峰との鞍部へ向かう稜線上から、カールの様子を窺う。人はいないし、ヒグマの姿も見えない。しかし、カールの雪渓周りに目をやると、カール脇の細く上部に延びた樹林帯脇にヒグマが1頭いる。カールのほとんどは雪渓に覆われていて、露出しているテント場は1か所だけで、ヒグマがテント場に来ようとすれば、ヒグマにとってはあっと言う間の距離でしかない。

 例によってホイッスルを思いっきりな鳴らしながら、ピラミッド峰との鞍部まで行かないところのカールへの急な道を下っているうちにヒグマの動静を見失い、その場所を見通せなくなったが、ホイッスルを吹きながらテント場に付く。そのテント場は、過去にヒグマの事故があって慰霊碑が付けられた岩のすぐ近くという環境にあるが、このカールでテントを張るしか選択肢はない。

 そのテント場は、砂地の極めて平坦なテント場で、その意味では快眠は約束されるであろうが、もしものことを考えると、レスキューシートを細引きを使って張って、風で音を出させるのも一つの方法かとは思ったが、テント設営時に、テントのフレームが損傷していることが分かり、フレームの位置を変えて細引きで補強したため、レスキューシートは広げなかった。ただ、このような方法で就寝中の熊除けとすることも一考かなと思うのである。

 八ノ沢カールにおいて幕営しなければならない大きな理由は、取水であった。いつもは非常用としてザックの底に入れているクリタの水も今回は当日用として使ってしまい、カールに下りたときは水は枯渇寸前であった。まずこのカールの水を鱈腹飲むことが他を差し置いての楽しみであった。

 カールから流れるカムイエクウチカウシ山の手の切れるような冷たい水は、とても清冽で、山に登る楽しみの一つがこの瞬間だと、つくづく思うのである。夜空の満天の星は、少しぼやけているような感じがしたが、天候の急変につながるとは思わず、また、ヒグマの存在も忘れて、完全に熟睡してしまった。


[HOME] [北海道の山] [日高山脈] [2日目] [3日目のPART1][4日目]