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ツキノワグマもいました 仙元尾根から酉谷山避難小屋(往復)

2010/10/14〜15

4日後(2010/10/19〜20)の酉谷山避難小屋の記録


■  10月14日  


ヤマトリカブト

 長い距離を歩くこと、避難小屋に泊まることを目的に仙元尾根から長沢背稜をたどって三ッドッケを経て酉谷山に向かい酉谷山避難小屋泊、翌日は七跳山から大平山を経て大ドッケに下り、ガケノ沢から浦山大日堂に下る計画を立てた。とにかく長く歩きたい。しかし、近場で・・・。

 秋も深まった平日に、仙元尾根を歩く物好きはいない(はずだ)。うっそうとした植林帯、浦山大日堂裏からの急登、しかも、土の道。ところが「彩の国みどりの基金」(自動車重量税が充てられている)により、登山口を登るとすぐウッドチップを敷き詰めた階段が2008年に整備され、今は歩きやすい登山道に変わっている。


仙元峠

 浦山大日堂の標高は約500m、ここから標高1444mの仙元峠までは約1000m近い登りとなる。地図上のコースタイムは4時間なので、1時間ごとに5分間の休憩を入れて焦ることなく淡々と登る。あいにくの天気である。ガスが立ち込め、天目背稜から延びる長沢背稜は雲で覆われている。

 仙元尾根は、登るたびに新たな道標ができたり倒木が処理されたり、道迷いを防ぐトラロープが要所に張られたりしている。登山道も最初に登ったころよりよく踏まれていて、岩場にはフィックスロープも設置されるなどしている。地元の方々によるものと思われるが、浦山の人たちの温かさが感じられるのである。


サワモダシ? サンゴハリタケも

 稜線を巻いていた道も道標のある大楢に出ると再び稜線の背を歩くことになる。ブナの木も姿を現し登山道は黄色い落ち葉で覆われている。ここからさらに300m弱の登りを我慢して仙元峠に出る。この仙元峠は昔、秩父と多摩を結ぶ唯一の峠であったとのこと。今も樹齢200年を超えるブナの大樹が稜線に多く残っている。

 仙元峠から稜線を下ると、蕎麦粒山からの道が合わさる。1449mを過ぎると棒杭尾根への踏み跡、グミノ滝から川俣に下りる道標を越えると「一杯水」の水場である。一杯水は涸れていることが多いというのが定説ではあるが、篤志の方が上部の湧水口からホースを引っ張ってくれたからであろう、ほとばしるように水が出ていた。


酉谷山避難小屋

 一杯水のすぐ先にある一杯水避難小屋で昼食のための休憩とする。ドアを開けると外のガスが小屋の中に流れて入ってくる。ストーブや私物の布団・マットなどが撤去された小屋は内部はすっきりとしていて気持ちがいい。外壁もペンキが塗り替えられている。

 長沢背稜に入ると、道は多少のアップダウンをこなしながら、酉谷山に向かってわずかに勾配を上げる。登山道を塞いでいる倒木を何本か鋸で切って、先へと進む。ハンギョウ尾根、七跳尾根、立橋山・矢岳への分岐を過ぎると酉谷山避難小屋は近い。ガスで覆われた避難小屋に誰もいないことを期待して登山道から別れ小屋に近づくと・・・・。

 「こんばんは。お邪魔します。」
 男性2人が、夕飯の準備に入るところであった。
 「もう誰も来ないと思って、広々と使っていました。」
といいながら、スペースを空けてくれる。


小屋内部

 「酉谷山はいいですね。水場もあって、こんな立派な小屋も使わせてもらえて。」
 「本当に贅沢な時間を過ごせますね。」
 この2人はそれぞれ単独であった。お一方は今年定年を迎えての山三昧で、今年の夏は車をフェリーに載せて北海道に渡り、山を楽しんだとのこと。もう一方は山のために早期退職、夏山は、層雲峡から愛山渓〜白雲岳〜トムラウシ山〜美瑛岳〜十勝岳を経て富良野岳までテント泊で縦走し、つい最近は、南アルプスを光岳〜聖岳〜赤石岳〜塩見岳〜間ノ岳〜北岳を縦走してきたという兵であった。

 明日は早いというお二方のスケジュールに合わせて、5時半にシュラフに潜り込んだ。熟睡して眼が覚めるとまだ10時前。寝直すも何度か眼が覚める。真夜中、猿が小屋近くで騒いでいる。小屋の外に置いたストックを持っていかれやしまいかと心配しながら朝を迎える。


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