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タワ尾根〜酉谷山避難小屋〜雲取山〜三条の湯〜サヲラ峠
2015/ 1/ 9〜10

酉谷山避難小屋


 1月 9日(金)

 結果としては、辛くて苦しい3日間だった。骨格の歪みによる筋肉痛・膝痛の発生が原因と思われる。避難小屋泊とテント泊としたことによるザックの重量も要因の一つであり、3日間ともアイゼンを使わなかったことも、あるいは正月の間の不摂生による体重の増加も理由として挙げられる。対処療法として、近いうちに近所の接骨院で骨格のバランス調整(リコンディション)を行ってもらう必要がある。


金袋山のミズナラの巨樹がある近くの風景

 本来の計画は南アルプス、茶臼岳だった。1日目に横窪沢小屋まで進み、2日目に茶臼岳に登って茶臼小屋泊、3日目に下山というものであった。しかし、気温−17℃、風速17m/sに恐れをなして直前に撤回した。正月のトレースが消えているだろうことも常に頭にあった。だから無雪期なら1日で行ける行程を2日に分けたのだったが、茶臼岳の風の強さは2014年11月の稜線で思い知らされているから、年寄りの冷や水、無茶はできないと諦めたのだった。もう一つプラスすると、新静岡ICから畑薙ダムまでのくねくねとした山道は夏道で2時間かかるが、この寒さの中、スタッドレスタイヤを装着しているとはいえ、凍った山道を真夜中に走るのも大変なことだ。


 酉谷山(左)と坊主山の鞍部に酉谷山避難小屋が見える

 そんなわけで、南アルプスを中止として空白となった3日間を楽しむ場所は、この時期にはいつもの小屋と山の温泉しかなかろうということで、酉谷山避難小屋と三条の湯を目的地とし、いつもザックに詰め込んでいるツェルトをテントに変える。食事は、生米を炊くこと、酒は生酒、つまみは刺身、副食は焼肉、野菜もたっぷりとと言っているうちに食材も重くなってしまった。


ウトウノ頭へと向かう

 防寒対策は、いつものウィークポイントである指先の冷え対策として今回は、@アクシーズクインのゴア手袋+ミズノのブレスサーモ手袋Aジッポーのハンドウォーマー、ハイマウントの炭火ハンドウォーマーB木炭着火用としてSOTOのスライドガストーチST-480Cワークマンで調達したニットのイヤーバンド(耳当て)Dミッドシェル(ウィンドウブレーカー)としてファイントラックのニュウモラップにこだわってみた。


酉谷山避難小屋が大きく見えるようになった(木が×に見えるとことの間に見える)

 寒さ対策の結論としては、ハイマウントの炭火を使うハンドウォーマーはマイナス10℃程度であった今回の奥多摩ではオーバースペック(熱すぎる)であったことと、これれが燃焼時間が短い、着火から火が安定するまでに時間がかかる、あるいは火が消えるなどの面倒くささがあったほかは、どれもこれも、これって奥多摩仕様かというほどマッチングがよかった。つまり極端に暑くもなく寒くもなくときおりレイヤリングに気を払うことで3日間(comfortable)心地よかった。


長沢背稜

 いつもは、この界隈を歩くときは車で行っていたが、ぬくぬくの電車の中で居眠りしながらのアプローチもいいなと、電車バスを使うことにした。下山後のバスの便が少ないが、その時間調整は温泉の畳の部屋で寝そべって待つことにした。アプローチも山の中も下山後もあくせくしないことを旨とした。


長沢背稜

 奥多摩駅を出た西東京バスの車内は、平日とあって乗客はザックを背負った4人だけで、川苔山で2人、東日原で1人下りてしまい、日原鍾乳洞終点までは一人であった。終点のバス停から一石神社まで歩いて、トイレを借り、身支度を整え、湧水を飲みなどとしているうちに時間があっという間に経ってしまった。凍った傾斜の急な踏み跡をいつものように登る。ベンチで一休みして一石山まで進む。


長沢背稜

 金袋山の次は篶坂ノ丸、すぐ着くと思っていたらなかなか見えてこない。このころから体は辛さを訴えていたのだった。前回は4時間30分で酉谷山避難小屋に着いたのに、今日は何時になることやらと先が思いやられる。結果的には前回より50分増しの5時間20分もかかってしまった。(というか50分だけで済んだのは幸いとでも言おうか。)タワ尾根のモノレールが敷設されたあたりから長沢背稜には雪が残っていたが、先行者の足跡は1人分だけだった。この日の長沢背稜には冷たい風が強く吹き付けていた。天気はいいし見通しも利くというのに、いつも携帯の電波が拾えるところ(3か所)ではまったくアンテナが立たず、下界とのコミュケーションはとることができなかった。


酉谷山避難小屋

 長沢背稜から小屋へと下りる。関心事は水場である。今回は、水は1.8リットルしか持ってこなかった。肝心の水場は水が流れていた。流れは細いものの全く支障はない。ただ、今回も水場は触られていた。石組みが替えられていて、この水場の特性を十分に活かされないようになっている。これほど水場がいじられると面倒くさい。今日の自分の分の水が採れればそれでいいやということも考えたが、このままだと夜になって冷え込んだときと朝の水が採れなくときが出てくる。渇水期に表土が凍ると水の流れが極端に細くなり、残りのわずかな流れを集めてようやく水が得られるようにしておかないとこれから先は流れがなくなってしまう。


水場(石組みが弄られているが流れはある)

 石組みを新たにし直すのに2時間弱もかかってしまった。外気温は−2℃ほどで、凍傷になるほどの手の冷えにどうにか耐えた。訳の分からない者が訳の分からないことをするものだからこんなことになるが、このぐらいのことの社会的害悪度は知れたものだ。酉谷山避難小屋の水場は当てにならない時もあるとの前提に立って、必要量の水を担ぎ上げればいいだけのことだ。


水場(手直し後) 若干やり残したことがある

 小屋に着いたらまず一杯やって、米を炊いて、のんびりとという目論みは外れた。もう陽も暮れて真っ暗になってしまった。身体はすっかり冷え切ってしまった。食事を終えてシュラフに潜り込むとしだいに体に温かさが戻り、いつしか眠りに就く。


相模原方面の夜景と小屋から漏れる灯り

 Zzz・・・ 


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