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春の装いのタワ尾根から酉谷山避難小屋
2015/ 4/10〜11


東日原の集落から芋ノ木ドッケ方向を見る


 4月10日(金)

 風邪で数日間寝込み、猫ちゃんの急病などもあってひと月以上も山に行くことができなかった。これは異常事態である。体調の回復が成ったので満を持して宗屋敷尾根から登り矢岳へ下りよう・・・と思ったが、いい陽気になったので家庭菜園のためにしっかりした野菜苗が欲しくなり、帰路に瑞穂町のホームセンターに寄ることとしてタワ尾根に向かった。東日原の派出所に登山届を出し一石神社に向かう。神社前で出発の準備をしていると、釣スタイルのバイカーが通行止めとなっている小川谷林道に入ろうとして、ガードマンさんにUターンを指示されている。最近、酉谷山避難小屋からエスケープだと言って下りてきて、工事現場で通行の面倒を見てもらった人がいるらしい。どういった意味で旧酉谷小屋のルートが、何のためのエスケープルートになるのかは理解に苦しむ。


稲村岩

 一石神社の脇から登る急な斜面にわずかにスミレが咲いている。最近の踏み跡が一人分ある。たぶん今日のものだろう。東日原の駐車場には先客の車が2台停められていた。今日は午後から寒気が南下してくると言うが、快晴無風で暑いことこの上ない。真夏の縦走スタイルで来たが汗が流れる。


 一石神社からベンチへの途中で スミレ

 ベンチから登ってミズナラの巨樹を迂回して稜線に出ることにする。巨樹への南斜面はスミレの種類が多いところだ。しかし、今回はほんの1株咲いているだけで、自然林の芽吹きも巨樹のところまでは、季節は届いていない。燕岩の上部に出る途中と一石山でミツバツツジが数本、花を咲かせていた。標高1、250mほどのところでは蕾がはじけそうになっていたから、いい陽気が少し続けば徐々に標高を上げて咲き登るのだろう。

 タワ尾根は、ときにテープ類のマーカーが夥しく付けられ、ときにこれらが駆逐されということを繰返しているが、今回はところどころに意味のある、かつ節度のあるマーカーが見られた。ところが金袋山を過ぎ篶坂ノ丸に近づくと焼小屋尾根方向を上り下りするためなのか、タワ尾根からそちらへ誘導するテープ類がベタベタと緩やかな尾根へ誘うように付けられてしまう。よほどでないとそちらに連れ込まれる人はいないだろうが、山は魔物である。公務員ランナーの川内優輝さんが昨秋、奥多摩〜秩父山中の破線ルートに入って道に迷い3時間で2キロしか進めず、急斜面を登り沢を渡るなどして登山ルートにようやく復帰したらしい。彼はトレランで山に入ったということなので、もしかするとウトウノ頭から四軒小屋尾根に引き込まれたのかもしれない。今年もタワ尾根が600人という規模のトレランで使われるので、そのころは全距離をロープが張られたように案内のテープが付けられるのでその前後だけは問題はないだろうが(???)


長沢背稜から酉谷山避難小屋をアップ

 タワ尾根から長沢背稜に出る。タワ尾根も長沢背稜も雪は全く残っておらず、ハシリドコロが大きくなっている。フカフカのフットパスをいつもの酉谷山避難小屋へと向かう。湿潤のところに明瞭な足跡が残されていることから、この足跡の持ち主が今日の小屋の先客のようだ。そんな思いで小屋に着いて中を覗くと誰もいない。ビールと日本酒を水場で冷やしながら炊飯の準備をする。万端整っていい気分になっていると、2人のパーティが今夜の逗留者として加わる。


水場は順調

 小屋のノートを見ると、最後に宿帳(小屋ノート)に宿泊事実を記入したのは4/2〜3(たぶん)の人が最後だった。酉谷山避難小屋に着いてまず目に入ったのは小屋の片隅に捨て置かれた二つの塊りのゴミと、板の間に上がった熊のように大きな汚れた動物の足跡であった。ゴミはともかく、動物の無数の汚れた足跡をそのままにして狭い板の間で寝る人は稀だろうから、今日まで宿泊者はなかったのだろう。板の間の汚れをすっかりぞうきん掛けして一人酒に入ったのは言うまでもない。


10cm程度の足跡

 最近は、いつ誰がどの山に登ったのかということは、本人のHP、ブログ、ヤマレコなどの記述とすれ違ったり言葉を交わした人の記述で容易に見当がつく世の中だ。調べてみるとこの犬のことかなというブログがあった。ゴミについては、中身を検めてみるともしかすると小屋の工事の人のものかなという推察ができたので持って帰ることにした。


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