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初冬の和名倉山(テント泊) 2日目
2014/12/26~27


和名倉山(頂上)


 12月27日(土)

 
和名倉山手前のビバーク地

テントに朝日が当たったのを機に起き出した。凍結を心配した飲料水や果物はモンベルのトールアクションパーカに包んでおいた。そのフリース素材の謳い文句は「裏面は暖かな起毛地なので、保温性にも優れています。」であったが、それに違わずプラティパスに入れてあった水2袋もりんごもみかんもまったく凍っていなかった。他方、フリースで包まなかったペットボトルのポカリスェットはカチカチに凍っていて、昨晩のお蕎麦の残りつゆも凍っていたし、厚手のビニール袋に包んでテントの中に入れておいた登山靴も凍りついていた。

 テントの内側は水蒸気が凍って張り付き、起き出した人の動きで雪が舞うように落ちてくる。シュラフやテントの中で裸で置いてあったものには霜が付いている。温度計はマイナス10℃であった。これまで、南アルプス/御室小屋や赤岳鉱泉でのテント泊でマイナス20℃を経験したことがあるが、今回ほどのことはなかった。何事も経験である。


二瀬の分岐標識から和名倉山へ辿る道

 テントの撤収とパッキングは朝8時ごろに終えたが、フリースの手袋で作業したが、手は完璧にガチガチになっていて、ザックを背負って出発するときにエストニアという遠い国で作られたウールのミトンをはめるとたちどころに手は温まった。このミトンは神田のL-breathで買ったものだが、「エストニア ミトン」でネット検索すると、エストニア製ウールの手袋の暖かさの秘密は「脱脂」していないからとあった。なるほど!なお、今回使ったミトンとネットで検索した画像のミトンとは似てもにつかわないので念のため。


八百平?付近

 このほか、今回はウィンドウストッパーを使ったファイントラックのニュウモラップをスマートウールのロングスリーブ・ジップネックの上に着用した。これがまったくの優れもので、これまでフリースを着用していた時に発汗でフリースの裏側に汗が溜まったようなことは(ほとんど)皆無であった。なお、1日目の出発時にニュウモラップの上にモンベルのフリースを着用して保温したが、テントの中でフード付きのフリースが特に首回りからフードの下部がカチンカチンに凍っていたことから分かるように、透湿性能の程度の違いが如実に表れたのであった。


吹上ノ頭付近前後から南アルプスの山々(中央の凹は雁峠?)

 山ノ神土から和名倉山の間は、顕著な標高差のある凸凹があまりないことから、往路も復路も大差ない所要時間である。1日目と比べると水や食料を消費したことによって背中に懸る重量は軽いし、1日目のように雪を踏み抜く必要もないにもかかわらず、足腰に疲れを感じる。それもそのはず、いつもの登山中のストレッチをまったく行っていかったことも主因の一つであった。


東仙波から西仙波

 2日目の今日は、700ヘクトパスカルの気温がマイナス12℃という予報は1日目より寒さとしては穏やか?と言えるが、風が強くて右頬はちぎれるように痛い。特に東仙波の頂に出るまでは冷たい風に吹かれたが、東仙波のピークは風が木々で遮られ南斜面を数歩下るとそこはポカポカとした休憩の適地であった。山ノ神土まであと半分というところでもあり、山専ボトルのお湯を飲んで人心地がつく。

 

西仙波方向から東仙波

 たぶん、もう来ることがないだろう和名倉山を西仙波への登りから眺める。和名倉山までの所要時間が少ない仁田尾根から登る計画を立てたこともあるが、今は雲取林道のゲートが仁田小屋への取り付きからずう~っと手前でゲートが設けられ、林道歩きが長くなってしまった。将監小屋でのテント場ライフを楽しむついでに行くようなことが考えられないわけではないが、そのほかに面白み・楽しみは見いだせないというのが、正直なところである。この山が200名山に選ばれている理由は知らない。


西仙波への登りから吹上ノ頭 奥の高みに緑が乗っかる和名倉山

 山ノ神土からスタートして和名倉山方向へ少し入ると、西御殿岩から派生する山肌を巻く間は多少山奥の雰囲気がする樹木があるが、その先は皆伐された禿山か禿山にもやしのような木々が密生していて、樹相が極めて貧弱・貧相で美しくない。これは笊ヶ岳とまったく同じで、ワイヤーロープなど往時の遺物が散乱しているところもそっくりである。その上に林野庁 埼玉森林管理事務所]名の[野生動植物地の拡大と、相互交流を促す「秩父山地緑の回廊」です。]という意味不明な看板の貼り付けである。

 関東森林管理局のホームページは「緑の回廊」について、
「動物や植物が、仲間をなくしたり数が少なくなりすぎたりしないように、そして、ちょっと離れたところまで遊びに行ったりするために使う道みたいなものなんだ!みんなも自分の家の周りにぜんぜん道がなかったらどこにも行けなくて嫌だよね。それと同じで、動物や植物も道がないとどこにも行けなくなっちゃうんだ。その道を作るために、私たちは自然に対して、ほんの少しだけお手伝いをしているよ。通り道は、今ある保護林をつないで、動物が気持ちよく歩けるように木を切らずに木陰を残したり、動物がお腹すいたときや、一休みしたくなったときに、安心してご飯を食べたり、休んだりできる場所を作ってあげたりしてるんだ。この通り道のことを「緑の回廊(コリドー)」って呼んでるんだ。私たちはそんな「緑の回廊」を8箇所作りそれぞれに名前を付けました。」
と書いている。
 馬鹿馬鹿し過ぎる看板と説明であるが、それでも「植物がちょっと離れたところまで遊びに行ったりする」「植物も道がないとどこにも行けない」ことを知って大いに勉強になった。林野事業の巨額な債務は林産物収入から返済されるとあるから、このような禿山がこれから日本全国の山々で見られるかも知れない。見晴し・展望がよくなって登山者にとっては朗報だろう。

 このような言葉遊びができる余裕は、やはりその予算額の多さであろう。尖閣を守る官庁より山の動物や植物のための回廊作りをする官庁の予算のほうがはるかに多いというのは、いびつを通り越している。そんな山の中の「回廊」の看板もきちんと実利的に有効利用されている。山名や分岐点が書かれているいる標識は、実は回廊の看板の裏側のキャンバスが使われているのであった。

 
・・交流という語句には山に限らずうさん臭が漂う

 別に和名倉山それ自体が悪いわけではない。200名山を登る人にとっては必ず登らなければならない必要不可欠な山であるだろう。そう言えば笊ヶ岳も200名山だった。もやしが生えたような山は林野行政が放置した遺物であり、その細々とした木々は遺棄され寒風に立つ幼児のようにも見える。今回の和名倉山は、初冬の雪を踏みしめての感動の頂上だったからこそ、余計に途中の山の様子が気になったのだった。

[参考] 
① スタッドレスタイヤがあっても後輪駆動車では三ノ瀬までのアイスバーンには太刀打ち不可。チェーンを装着したトラックが登れず、バックで延々と下りて行った。
② 駐車場を借りた「民宿みはらし」は不在であった。駐車料金は1日500円。不在時は玄関に差し入れるといい。
③ アイゼンは往復とも不使用。


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