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蝦夷富士(えぞふじ)後方羊蹄山(しりべしやま)羊蹄山(ようていざん)
(2011/10/ 8〜9)


羊蹄小屋

 羊蹄山避難小屋は、1972年に北海道により建てられた収容人員100人の2階建ての小屋だ。管理協力費が一人当たり800円のほか寝具利用料や日帰り登山者のトイレ使用協力金が収入源のすべてである。トイレ募金で集められる金額は、年間2万円程度とのことですから、年間1万人が登る山の小屋としては、利用者は(自分を含めて)極めて悋気(ケチ)というほかない。

 
宿泊者は御来光を拝みに 羊蹄小屋1階内部

 この小屋の建て替え問題が、何度かの関係機関による検討会の末に2011年になって決着し、新しい77平方メートルの小屋の建設と野営指定地の整備が進みそうだ。この小屋には交代で管理人さんが常駐するが、これまでの人件費を積み上げると(40年間もの歴史があるので当然ながら)小屋1軒が立つそうだ。この人件費及び維持費は、羊蹄山管理保全連絡協議会(つまり地元の町村)が負担していたわけで、ありがたいことだ。羊蹄山は日帰りが十分に可能な山だが、今回の建て替え問題でも利用者数実績が一つのネックとなり、小屋の規模で紛糾したように仄聞する。建物は使わないとすぐ悪くなると同様に、日帰りできるからと言って有効活用せずにいると、いざというときに(国の予算は統計の数字で決まることも多いので)困りものだ。このような言い方が適当かどうか分からないが、管理人さんが困るほど利用してはどうか。


 10月9日(2日目)  

 
火口

 羊蹄山避難小屋では、管理人さんの一声で明けた。御来光を見に行く人は4時ごろに起きて(起こされて)身支度を整え、おおむねヒラフコース側から頂上に周っていくようだ。小屋に残ったのは管理人さんと2人の宿泊者だけ。そのうちの一人の自分は、食事をしてからゆっくりお鉢周りをする予定としている。みなさんは出て行ってから2時間もすると順次戻ってきた。


荒々しいお鉢

 羊蹄山避難小屋の雰囲気は、剣岳の早月尾根にある早月小屋に似ている。早月小屋のようにおとぎの国にあるのではないのだが、小屋自体は早月小屋を思い出す。小屋に賑わいが戻ったので、小屋を出てヒラフコースから頂上を目指す。風は強いのだが、もう午前8時近くになっているので太陽の光を浴び(凍った登山道を)快適に歩く。

 
後方羊蹄山頂上から見たお鉢

 羊蹄山は活火山ということだ。火口の深さが200mもあるということで、お鉢周りをしながら対岸を見るとなぜか日高の山の斜面を見ているような山岳風景である。火山礫で盛り上がったお鉢は荒々しく、雪で足を取られないように一回りし下山ルートに入る。もう9時を大きく回っているので、今朝登ってきた人たちとのすれ違いが多くなる。


ハイマツがシマリスの寝床

 ゆるい傾斜で登りやすく簡単だと思っていた登山道は、下ってみると結構な傾斜がある。4合目で木の根に腰かけて休んでいると隣に寝ていた2人の青年が苦しそうに下りてくる。足の筋肉が痛いというのでストレッチ教室を開いて筋肉痛の緩和に協力する。そのうち、年配の男性が登ってきて私の横に腰かける。洞爺湖と羊蹄山の頂上が見えるという5合目まで行くそうだ。「お元気ですね。」と声を掛けると、「いくつに見えるかね。」と聞くので、[70歳代後半」と答えると、「90歳に近い。」と言うので驚きだ。室蘭から車を運転してきたそうで、かくしゃくとしていた。「あんたは遠くから来たのかい?いいね、そうやって北海道で山に登って。」と褒めてくれる。


まっかり温泉から見た羊蹄山

 しばらくおじいさんと話をしてしまった。今日は、山を下りたら「まっかり温泉」に入って浴場から羊蹄山を眺めるつもりである。お鉢巡りをし終えてからの時間を計ると、休憩時間を入れて3時間25分の行程だった。まっかり温泉で疲れを癒したのち、夕方のフェリーに間に合うように余市経由で小樽に向かう。3連休の最終日とあって道路は大混雑だったが、ゆとりある時刻に着いたので、普段なかなか入手できない北海道の食品をたくさん買い求める。中でも雪印の「北海道チーズ」は今はなかなか入手困難だ。帰宅後、そのチーズの製造場所を見ると「横浜市」であったことは、まあいいことするか。 


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