酉谷山避難小屋からヨコスズ尾根を下る
2010/ 4/25〜26
■ 4月26日(月)
石楠花尾根付近からの酉谷山避難小屋 ご夫婦が出立している
避難小屋の狭い板の間に6人が寝ることになって、一番端に陣取った自分は常に土間に転落する危険と隣り合わせの一晩になった。それでも数回目を覚ましただけで朝を迎えた。午前4時の小屋の外の気温はマイナス2度。きりりと身が引き締まる。簡単な食事を摂って5時半に出発し、矢岳への分岐を確認して一杯水避難小屋を目指す。男性1人とすれ違う。
ヤマブキ 横スズ尾根登山口付近で
一杯水避難小屋手前でニリンソウトリカブトが芽生えている。避難小屋は朝陽を一杯に浴びて暖かそうだ。20分ほど小屋でまどろむ。横スズ尾根に分け、アップダウンを楽しみながら快適な自然林の中を歩く。それでも標高差約900mはきつい。まして足慣らしのために履いてきたザンバランの新しい登山靴は固く、靴ズレも起こしている。
鍾乳洞へ行く道すがら
ありがとう!避難小屋
酉谷山避難小屋で同宿したご夫婦は、山のベテランであった。
大雪山も旭岳〜トムラウシ山〜十勝岳を縦走したとのこと。
話題は昨年のトムラウシの大量遭難のことへ。
酉谷山避難小屋のノートを見ると、
ここでは道迷いにより避難小屋に出会って助かったという記載が見られる。
その一つは2008年のもの。このように書かれている。
熊倉山から下山するつもりがこちらに迷って、
酉谷山頂で会った方、こちらにいらした方、
(一人は四季山岳会の方)命を助けていただきました。
本当に死ぬところを助けていただいたみなさんと
この山小屋さんにこころより感謝申し上げます。
ありがとうございました。
08’12.7 TANAKA
今回、酉谷山避難小屋の雑記帳を見てみると、
つい最近も道迷いでこの小屋に泊まって難を逃れた人が、
そのいきさつを次のように書いている。
月末でもマイナスの気温の奥多摩で、
避難小屋にたどり着けたことは幸いだったろう。
4月23日 ○○&○○(夫婦2名にて)
20日 雲取山避難小屋泊
21日 酉谷山を経由し(ここまで縦走)→三峰口まで下るはずが、迷ってビバーク。
(山と高原地図 テン線ルート東大演習林?の中にて・・・)小雨。この時ケータイ充
電なくなる・・・。
22日 周辺をうろうろ(ずっと登山道でないところを・・)ガケもあり。
その内みぞれ交じりの雨が降り出す・・・
何かの尾根まで出て、何かのルートにぶつかって酉谷山を目指すも小黒からのルートが
状態悪すぎ&ルートファインディング困難のため断念、熊倉山に目的地を変更(15:00ごろ)
しばらく行くと何故か酉谷山山頂についた(ありえない!)→ここに泊まりました。
23日 これから日原を目指し下山します。今日こそ家へ帰りたい。
(22、23日と仕事のハズだったが、ケータイ電池なくなり連絡できず欠勤)
この小屋がなければ死んでました。ほんとにありがとうございました。
置いてあったおもち、おしょうゆ、使わせてもらいました。食料がラーメンと卵各1くらいしかなく、
昨日も全く食べていなかったので、本当に救われました。
どうしてここに付いたかはかなり謎ですが・・・。
読図もっとちゃんと練習しよー・・・
それはたった4日前のことだった。前回、この避難小屋に泊まったとき、ロッカーに餅などの食料や調味料、鍋・釜が置かれていた。その残地食料を食べて空腹を満たしたのだと思う。
小屋のノートには、「ありがとう。」の言葉がたくさん溢れている。楽しく快適に使わせてもらった「ありがとう。」とともに「命」を守ってくれたことに対する「ありがとう。」なのだ。
(秩父から登ってきて道迷いする事例が多いようなので、あえてノートの文章をコピーさせていただきました)。
1日目(往路) | 地点 | 2日目(復路) | 地点 | |||
着 | 発 | 着 | 発 | |||
0800 | 東日原駐車場 | 0535 | 酉谷山避難小屋 | |||
0830 | 0830 | 登山口 | 0625 | 0630 | 七跳尾根分岐 | |
0940 | 0940 | 一石山 | 0730 | 0750 | 一杯水避難小屋 | |
1055 | 1055 | 金袋山 | 0930 | 東日原駐車場 | ||
1205 | 1205 | ウトウノ頭 | ||||
1220 | 1245 | ウトウノ頭先 | ||||
1340 | 1340 | 長沢背稜 | ||||
1445 | 1445 | 酉谷山 | ||||
1450 | 酉谷山避難小屋 | |||||
所要(含休憩) | 6時間50分 | 所要(含休憩) | 3時間55分 |