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前穂高岳〜奥穂高岳〜大キレット〜槍ヶ岳/テント泊縦走(2日目)
2014/ 9/12〜13


穂高岳山荘のテント場


 9月13日 (2日目)  


涸沢岳から穂高岳山荘

 今回は防寒対策としてはゴアの帽子手袋とイアーバンド、初冬まで対応のシュラフ、インナーダウン(上下)を用意したが、稜線を歩くときは夏山の服装で足りた。夜はイスカのシュラフが暖かくてこの上ないいい寝心地であった。朝陽が登る前にテントを畳み、夜が明けるとすぐに涸沢岳に取り付く。涸沢岳からの下りで一橋大学のメンバーが登りと下り双方の順番待ちをしている。勘弁してもらって先に下ろさせてもらって先に進む。とは言っても一歩一歩慎重の上にも慎重に岩場を進んでいく。 


キレット

 最低コルに着くと、咲き残りのイワギキョウやトウヤクリンドウが出迎えてくれる。これまで2度歩いたコースである。昨年歩いたのに、ところどころ景色に見覚えがない。それほど加齢の影響が出ているのか、それとも緊張していて覚えることがかなわなかったのか。当事者としては後者であることを願いたい。


すごいね!

 北穂高岳南峰付近の高みから男性が下りてくる。後ろを追ってきたので(北穂高岳?)と道を間違えたのだろうか。北穂高岳の頂上と言ってものっぺりとした広場をスルーして北穂高小屋に下りる。ここで腹を満たしストレッチを入念に行って大キレットに備える。最近は、山を歩いている最中にストレッチをすることが多くなった。それほど柔軟性がなくなったということか。厳しめのストレッチをすると下半身が浮くように軽くなる。


イワギキョウ

 北穂高小屋から大キレットに向けて下降する人が続く。その後を追って飛騨泣き、A沢コル、長谷川ピーク、最低コルと進む(と書いたが、どこがどこだったかのきちっとした認識があったのは最低コルだけか)。すれ違う人から団体さんがいっぱいやってくるよと情報が寄せられたが、もっとも大人数は外国人の20人ほどのグループであった。(やかましいお隣ニーハオの国の人でなくて良かったが槍と殺生ヒュッテでは、自国政府も認める最低なマナーのニーハオ登山者の行状で雰囲気が台無しであった。)


最低コルのトウヤクリンドウ

 南岳小屋へ至る今回のルート上の最後の岩場は長かった。ルンゼ状の登りに梯子や鎖が設置されているものの、長丁場を歩いてきた体には辛かった。しかし、そんなことを言っては、最後の登り付近で登山道を整備して下さっていた作業員の方には失礼というものだろう。こちらは遊びで来ているのである。挨拶をして横を通ると「ご迷惑ですいません。」をあいさつを交わしてくれる。本当にありがとうございます。


南岳と槍ヶ岳

 南岳小屋に着くとガスに覆われている。しっかり休憩を取って、エネルギーをチャージし、ストレッチを入念に行う。どうせ槍ヶ岳に行ってもテント場は確保できないのだから、ここから槍ヶ岳の3時間20分の残りのコースを端折ってテントを張ってしまおうかとの悪魔のささやきに乗りそうになる。もしそんなことをしたら明日の上高地からのバスの待ち時間はどのようなことになるか。ここは我慢してどうしても殺生ヒュッテまでの約4時間を歩き通さなければならない。


北穂高岳

 南岳小屋からの南岳はどうでもなかったが、中岳と大喰岳は想定外の辛さであった。ハムストリングにはもういくばくもの脂肪も残っていないようだった。そう、中高年腹をしていても中性脂肪の値は下限値に近いから、歩いていて登山に飽きてくると脚力が急低下する傾向にある。大喰岳を過ぎるころになっても南岳方向に進む登山者が途切れない。もう午後も2時過ぎになろうというのにどうしてなんだろうと不可解に思っていた。そのことは、あとでなるほどと分かる。午後3時に着いた槍岳山荘の宿泊の受付は混乱の極みであった。そして当日は布団一つに2人から3人と・・・。これはもう人権蹂躙の世界でしょう。


憧れの槍ヶ岳のテント場

 大喰岳から下って飛騨乗越を見下ろすと、飛騨側から人がどんどん登ってくる。すれ違った人に槍ヶ岳のテント場はまだ空いていましたよと言われるが、もうそんなことはあり得ないだろう、しかし、急いでみるだけは急ごう。人生、努力は必要だ。テント場に出ると3か所が手付かずのままである。競歩よろしく槍岳山荘の玄関に入ると・・・、群衆が受付を待ってとぐろを巻いている。すりすりとさりげなく受付に進み出て、「ちょっとごめんなさいね」と仁義を切って受付の青年に尋ねてみる。「空いていたとしても、槍を往復していてテントを張っていないだけじゃないでしょうか。」とのたまう。このからくりは知っているが、この状況でそれ以上の交渉は野暮なことなので、殺生ヒュッテに下りることにする。


ゴロタ岩でもスペースがあればいい

 その殺生ヒュッテも、稜線から見下ろすテント場はほぼ埋まっている。槍沢へ下りる登山道はもう午後3時になろうとしているのに登りの人が鈴なりである。いちいち道をあけて交差すること幾十数回、そのうちに業を煮やした後続の若い男女ペア−が登山道を離れてガレ場を走り降りていく。「おーい、テント場は誰もが確保したいんだよ。やめろよ。」と大声で注意するが、餓鬼となったこの2人は何の躊躇もなく走り去って、殺生小屋のテント場を目指して行った。


殺生ヒュッテのテント場

 比較的地面が整えられたテント場を確保して、マイホームを設営し、小屋の冷え冷えビールを堪能する。槍の稜線を見上げるとまだ槍の頂上を目指す人が数珠つなぎである。今回も当初から槍ヶ岳のテント場は当てにしていなかったが、殺生ヒュッテもこのように大混雑とは。昨今のテントブームは恐ろしいことになっている。どうぞ、このテント群の中からほんの少しの人でいいから日高山脈のテント場に行ってくれないだろうかな。


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