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前穂高岳〜奥穂高岳〜大キレット〜槍ヶ岳/テント泊縦走(1日目)
2014/ 9/20〜22


奥穂高岳


 9月20日 (1日目)  


岳沢から天狗

 2013年9月22日〜24日に歩いた同じコースをトレースする計画を立てた。2012年に槍ヶ岳〜奥穂高岳を歩いたついで?に計画外のジャンダルムを西穂まで歩いてしまった。その時はもう穂高岳はいいやと思っていたが、下りてみると郷愁をそそる山となってしまっていた。(2012年のジャンダルムの記録はこちら
 (2013年の同じコースの記録はこちら


ジャンダルム

 ということで2014年も昨年同様、前穂高岳〜奥穂高岳〜大キレット〜槍ヶ岳を歩くことを計画したが、願わくば槍ヶ岳のテント場を確保できれば望外の喜びである。2014年の夏山は雨にたたられてメジャーな山を登ることはかなわなかった。その代替としてあちこちの山に出かけてみたが、週末の北アルプスの山に晴れのマークが出たので、準備万端整えた上、深夜の沢渡バスターミナルに隣接する駐車場で仮眠する。


重太郎新道から 焼岳

 平日ながら沢渡の駐車場はほぼ満車状態、3連休の晴れのマークは多くの人を北アルプスの山へと誘っている。始発のバスは5時40分である。少しでも早く上高地まで行こうとタクシー乗り場で相乗りの相手を探そうとしたらあっという間に5人そろってしまった。ホスピタリティ精神旺盛な運転手さんの案内を受けながら上高地バスターミナルに着くと、そこには多くの人が集っている。恐るべし上高地!


北穂/南稜

 しかしながら、河童橋から岳沢への道を辿る山屋さんは多くなく、静謐な登山道をマイペースで歩く。氷点下の気温に晒された岳沢ヒュッテのベンチには薄氷が張っている。ここで小腹を満たし、出発前にヘルメットを装着する。後続の一橋大学ワンダーフォーゲル部の学生(前穂高岳から日本海まで縦走するというつわもの達)はヘルメットを忘れたとのことで売店でヘルメットを購入している。


前穂高岳から 紀美子平

 岳沢ヒュッテから重太郎新道に進路を取り、事故の多いという梯子やトラバース、鎖場をやり過ごして紀美子平に着く。文章にすればたったこれだけの文字数ではあるが、正直言って辛い。それは年齢と標高差をテント泊装備というものの相乗効果であるが、この要因のどれも取り除くことはできない。というより、辛いことを乗り越えてなんぼの山登りであろう。上げ膳据え膳の小屋泊にするのはまだまだ先のことだ。加えてこの3連休は山小屋はどこも空前の混みようが予想されたことから、テント泊を放棄する計画はあり得なかった。


ジャンダルム

 紀美子平から前穂高岳を往復し、戻った紀美子平でエネルギーをチャージし吊尾根に向かう。必要に応じて3点支持を堅持して進むが、難しいところはない。難しいところはないものの昨年の記憶は消え薄れてしまっていて、吊尾根ってこんなに長かっただろうかというほど、奥穂高岳へはなかなか着かなかった。

 我慢に我慢を重ねて南稜ノ頭に着くとようやく奥穂高岳の頂上が間近となる。感動の頂上標識に立とうとすると、ジャンダルムから馬ノ背を辿ってくる面々の姿に感動を覚える。ほとんどがガイドツアーの人であったが、奥穂高岳に到着すると誇らしげな顔を見せる。それもそうだろう。西穂高山荘を午前3時に出てきて奥穂高岳に着いたのは午後3時、12時間の長丁場をしっかり歩いてきた充実感をみなぎらせている。(メンバーの中には経験の浅い者もいたそうな。)


涸沢岳

 ジャンダルムをやり終えた人たちが次々と奥穂高岳に到着する。先行しないと穂高山荘への岩場の下りでの渋滞に巻き込まれるからと、機先を制して頂上を後にする。

 穂高岳山荘をのぞき見ると(そのような表現がふさわしい斜度である)テント場には多くのテントが張られている。あそこが空いていると思えばザイテングラートを登って来た人が、あの場所は人にとられたくないなぁと思っていると涸沢岳から下りてきた人がテントを張って、今回はまずいなぁと観念したが、なぜか小屋に一番近いところだけが空いたままだったのでここにする。

 夕食は小屋の食事を利用することとして、テントを張ってからは食事の時間までテントでビール、小屋のテーブルで日本酒、と一日で一番楽しい時間を過ごすこととなった。テーブルの前に座った若いカップルのお二人は「西穂高岳からジャンダルムをテントを担いで登って来た。明日は槍ヶ岳」と言っていたが、翌日にテント場で顔を合わせると「ジャンダルムから西穂高岳に戻ります。」とこともなげに言うには驚いた。このような人たちが(仕事でも)がんばっているうちは、日本も問題なし!!!


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