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『老少年』とは? 

管理人  中国に「世有老少年、也有少年老」という言葉があります。
 年齢には、@自然年齢A健康年齢B心理年齢があり、好奇心があって新しい物事に適応でき社会活動やスポーツに熱心な年齢の高い者
「老少年」がいる一方、世に不満があって飽き足らず感受性が鈍く常に疲労感をもっている若者「少年老」に分けるらしいのです。
 管理人自身は精神的には老少年に属していると思っていますが、体力はそれなりに低下している実感ありあり・・・・・。
生まれ  1950年・北海道(male)
 性格   これまで自分は温厚で人当たりがいいと思っていましたが、実際はそうでもないことがこの歳になって気付くことになりました。自己主張も強くなり、頑固な人だなぁと思うことが多くなりました。
住まい  彩の国の南部、目白,高田馬場,池袋,神田,上野などにある山の店を徘徊するのに便利な街です。この街は東京都に接していながら地価が安いということ?で、大規模なマンションの建設があちこちで進められ、若い世帯の転入が増えています。
仕事  これまでの長い給与所得の生活を終え、2011年3月に60歳の定年を迎えました。再雇用の5年間も山三昧の日々が続いていたところ、2016年3月の任期終了間近になってフルタイム正規職員としての雇用延長による在籍の話が・・・。
 しかし、何かと大変な職場であり寿命を考えると、(収入の額は魅力的だが遊ぶ時間も無くなってしまうので)もう限界と断り、2016年4月からはこれまでの仕事とは全く関係のない vegetables growing adviserとして、野菜作りのお手伝いの仕事をしています。この仕事はガテン系に属し常に肉体的疲労に見舞われていて、再々就職1年目の2016年は、長期間の縦走や日高山脈の山歩きはできないでいます。

 山の経歴 

はじめての山  1998年,大阪に勤務時に六甲山のハイキングに誘われて参加したのが始まり。六甲山は、海抜0mからスタートするので,標高差1000m近くもあってハイキング気分で行くと結構堪えますが、ルートがバラエティに富んでいて、大阪では3年間、主に六甲山域ばかりを歩いていました。
山登りを続けること  過酷な六甲全山縦走大会に初めて出て,足はまめだらけ,体はがたがた。しかし,15時間かかってゴールし、スタッフに激励されたときの感激・感動はひとしおで、不覚にも涙が流れ落ちました。以来、4年連続大会に参加。六甲山は多彩な山歩きが楽しめる我が心の山。辛いときは、いつも過酷だった縦走路の山を思い出して自分を奮い立たせています。
所属山岳会  地元のアットホームな山の会に所属し7年。この会では、年間24回以上の山行が計画されていて,和気あいあいと多彩な山登りを楽しんでいました。しかし、転勤や不規則な勤務から山の会が計画する山登りに出られなくなり、また、時間が取れるようになってからは、避難小屋泊のロングトレイル、日高の山歩き、アツモリソウやヤマシャクヤクなどの希少種探訪に重点を置くようになってしまい山の会は休会扱いになっています。
なぜ山登り  体を酷使すると脳内に快楽物質が出るそうです。山に登った週明けの出勤が楽しく,厳しい山,楽しい山だと,その状態がさらに長続きしています。主体的な山登りは心を軽やかにしてくれます。なお、定年退職となった今は、健康管理のためにも山歩きがますます重要になってきています。 

 北海道の山との出会い 

北海道の山への傾倒  山の会に所属して,関東周辺,北アルプス,南アルプスなどの山に登って充実した日々を送っていたとき,札幌へ転勤となってしまいました。内示を聞きながら、これが北海道の山に思う存分登ることができる絶好の機会と気持ちを入れ替え、その足ですぐ神田に向かい、北の山の本とテント装備を一式買いそろえたのでした。
北海道の山の印象  北海道の山は、登る人が少ないのに登山道や標識などがよく整備されています。また,比較的避難小屋が充実していて,登山の振興に公費を使うことについてのコンセンサスが得られてい(た)ると思われます。さらに,シュナイダーコースやピパイロの登山道の開削に見られるように,地元の方の奉仕があって登山を楽しめる場所も多く,ありがたく感じるところです。
 ただ現在は、たとえば2009年に大量の遭難死者を出したトムラウシ山の新得側における避難小屋設置計画に対する頑迷な自然環境保護派による新たな避難小屋設置反対の動きに象徴される活動が見られるほか、国、地方自治体とも財政事情が悪化していることから、新規の小屋の設置・季節の小屋の適切な維持管理は困難になるだろうと思われます。
北海道の山の特徴  登山雑誌などで紹介される山メジャーな山や札幌周辺の山を除くと登る人が極めて少なく、静かな山歩きと豊富な高山植物の花見縦走できます。登山口までのアプローチに公共交通機関が少なく、車が主体となりますが、縦走時はタクシーに頼ることとなります。稜線に出るのに沢を歩くことも多いのが特徴です。緯度が高いため、山は9月中旬に初雪を迎えることになり、10月初旬にはときに真冬の気象状況になることもあります。
 なお、2009年夏、大雪山系で大規模な山岳遭難死亡事故が発生していることから分かるように、夏山とはいえ十分な耐寒装備と、体力の維持を図ることが必要です。

 テント泊 

テント泊の必要性  日高の山の稜線に道標はもとより、避難小屋や山小屋はありません。従って,縦走する場合はテントを背負わなければなりません。頂上を独り占めにした西尾根コースからのペテガリ岳の朝,東尾根コースからぺテガリ岳途上での国境稜線の朝,七ッ沼の朝,1911の朝、ナメワッカ分岐の朝、北戸蔦別岳の朝、天候悪化の前のカムイエクウチカウシ山八ノ沢カールなどなど,どれもが得がたい思い出の朝です。
テント泊のよさ  夏の山小屋の雑魚寝ほど人を不幸にするものはありません。暑くて暑くて寝苦しい。衣食住のすべてを背負っていくのは辛いのですが、テントは山の上のマイホーム,素晴らしいスペースが確保できます。テント泊は極楽です。日高山脈での3〜4泊の縦走で背負う重量は、特に水を十分に持つ必要がありますので、ときに約30kgとなってしまいます。

 ヒグマ(クマ)

ヒグマの被害  北海道の山に入って圧倒的に存在感のある動物はヒグマです。北海道ではこれまで、数々のヒグマによる人的被害があって,今でも山菜を採りに山に入ったり,ハンターが犠牲になる事故が後を絶ちません。登山者に限っていえば,カムイエクウチカウシ山での事故以来,知りうる限り登山者が死亡したということは寡聞です。
ヒグマとの遭遇 北海道の山に登るようになって5年、この間に数知れないヒグマに間近で出遭いました。
@ 2004年8月,カムイビランジを見ようと
ペテガリ岳からCカールに移動中,稜線の取り付きが十勝側から日高側に変わる場所でヒグマが尻を向けて走っていくところに出遭いました。ヒグマはある程度の距離を置くと向きを変えてこちらをにらみ付けるのでした。怖かったが熊よけ鈴をガシャガシャならし大声を上げたらハイマツの上をジャンプして走って行きました。怖くて振り返れなかったのでした。
A 2007年6月、天候悪化を見越し幌尻岳への登頂を断念し北戸蔦別岳に戻る途中,300mほど先のカールで採餌中のヒグマを見かけました。一応当方を認識させるためにストックを叩いて居場所を伝え、退散してもらいました。
B 北海道の山を歩いていると,それまで木々や高山植物の発する芳香と違って、著しい獣臭が漂ってくる場合があります。金峰山を一人で登っているときに,山林をパトロールしている人から「熊は人間を先に見つけると,藪に隠れて人が過ぎ去るのを待っているから,鈴を付けて音を出し、ここに人がいるよと教えてあげて下さい。」と言われたことがあります。獣臭がするときは,近くでヒグマがじっと潜んでいると思われますので、静かにかつ足早にその場所を離れることにしています。
C 2007年7月,
エサオマントッタベツ岳〜カムイエクウチカウシ山した際,カールのテント場で3頭、縦走途中のカールで2頭に出遭いました。
D 2009年7月、カムイエクウチカウシ山〜コイカクシュサツナイ岳を縦走しました。この年は天候が不順でで増水前の札内川をようやく突破し八ノ沢カールで幕営しまたが、天候悪化でカールで停滞。3日目、ピラミッド峰に登るため稜線に出ようとしたところ、親子グマが登山道を塞いで採餌中でした。そこで、離れたところから警笛を鳴らし、道を譲ってもらったのでした。
ヒグマ対策  最初のころは,熊鈴を鳴らしたり,2リットルの空のペットボトルを凹めて機銃のような音を出していました。今は,大きな熊鈴をザックにくくり付け,沢や曲がり角で見えずらいところでは大きな音の出る警笛を吹いています。ヒグマに襲われたときには抵抗する必要があると言われますが,鉈などは重くて持ち歩きできません。そこでノコギリ(刃の長さ20cm)を携帯してお守りとしています。熊スプレーは、高価で使用方法にも工夫がいることや飛行機への持ち込みができなこともあり、持たないことにしています。

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